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弱さの許容ライン。(島本理生『憐憫』を読んで)

1時間で読める不倫小説。

不憫に思うこと、憐れむ気持ちを表した「憐憫」という言葉に、小説家・島本理生の弱さへのまなざしを感じる一冊だ。

かつて子役として脚光を浴びた女優の沙良。20歳を過ぎ、何をすればいいか分からなくなっていた彼女だが、ふとしたパーティで出会った男・柏木とセックスをする。夫と暮らす彼女は、柏木のさりげない気遣いと愛情に徐々に惹かれていく。

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浮気や不倫を経験したことのない僕は、ずっと浮気や不倫をしてしまう人たちの心中を理解できずにいた。誰かを傷つける可能性がある中で、他人と性行為に至ってしまう。そこに気持ちがあるかどうかは関係なく、ある程度の理性を持った大人であれば、浮気や不倫という「リスク」は回避できるのではないか……と。

だが、案外僕が「リスク」だと感じていたこと、それ自体が間違いなのではないかと思っていた。僕が将来、浮気や不倫をするかはさておき(あまり想像がつかない)、それは善悪とかでは測れない何かが存在するのではないだろうか。

2ヶ月前、ポリアモリーについて書いた書籍を読んだ。

ポリアモリーは原則、パートナーに対して「他の人間との恋愛」を開示する。なので原則隠れて行なう浮気や不倫とは全く違うものだともいえるが、僕は意外と地続きにあるものではないかと理解している。(人にもよるだろうが)

雷に打たれたような、という恋愛に関する表現があるが、例えばパートナーがいたときに雷に打たれたような恋愛をしないとも限らないわけで。そういったときに理性を保てるかどうかというのは、また別問題なんだろうと感じるのだ。

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さて、島本理生の中編小説『憐憫』は、浮気や不倫をする人間たちの生き様を描く作品だ。特に沙良が宿命的に惹かれてしまう柏木という人間は、数ある不倫小説の中でも、断ち難い「弱さ」を抱えたようなキャラクターである。

色々な苦悩がある中で、柏木もまた、出会ってしまった沙良に惹かれていく。だが彼は、このままの関係を続けていいのだろうかと常に悩み、デート中に姿をくらますという「暴挙」も辞さない人間なのだ。これは大胆というよりも、ひとえに「弱さ」といっていいだろう。

彼に共感できるかどうか、というよりも、読者は「弱さ」をどこまで許容できるかを問われているような気がする。沙良も柏木も、一読すると、単なる身勝手な「大人」にしか思えない。終盤、柏木の正体が開示されていくのだが、そのくだりで身勝手さを再認識することになる。

もし『憐憫』を中・高校生が読んだとしたら、「大人とはなんて身勝手な生き物だろう」とガッカリするのではないか。だが、そこに直接感情移入するのはあまり筋が良くなくて。こういった「弱さ」が世の中には間違いなく存在するという、ある種の社会勉強のように捉えるのが良いだろう。

島本はこれまでも、筋金入りの「弱さ」を持つキャラクターを描いてきた。『憐憫』は「弱さ」を現実レベルで描いたような作品で(『Red』のようなハードボイルドな雰囲気は一切ない)、地に足のついた物語ともいえよう。

こういった中編小説は、来たるべき長編小説のスケッチ的な効果がある。島本の次回作を心して待ちたい。そう捉えながら小説を読むのも、また一興だと僕は思う。

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