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核問題か?政治問題か?イラン核合意の行方

 前回は、英国の首相ボリスジョンソンが首相の座に居座り続けることができ、なんとか首の皮い一枚繋がった、というブログをお届けした。

 このブログも常に、筆者の継続意欲が首の皮一枚の状況だが、今回もなんとか書き上げることができた。

 今回は、筆者の専門(自称)中東についてお届けしたい。

 イラン核合意だ。

 今回は2月7日に筆者が自身のFacebookに投稿した、「【イラン核合意総括】」を加筆・修正するかたちでお届けする。

 ソースについてはあまりにも膨大なため、今回はあえて記さない。だが、筆者は重要な情報はTwitterにて共有しているので、御覧いただければ当たることができるだろう。

 イラン核合意は歴史的な合意だ。

 米国政権はかねてより、共和党政権であれ民主党政権であれ、イランに対しては強硬的な対応を示してきた。(イランと米国の関係については別記事で述べたい)

 しかし、米国のオバマ大統領はイランに対し融和的な人物だった。

 「核なき世界」を掲げたオバマは2015年に、イランに課していた経済制裁を解く代わりに、イランの核兵器開発活動(イラン側は平和的利用と主張)、「包括的共同行動計画」いわゆる、イラン核合意を成立させた(正式名称:Joint Comprehensive Action of plan )。

 しかし、米国、イラン、ドイツ、フランス、イギリス、中国、ロシア、を巻き込んだイラン核合意は、2018年にトランプ前大統領が当事国の反対意見を押し切って、一方的に離脱したことで崩壊した。

  トランプは「maximum pressure(最大限の圧力)」としてイランに経済制裁を課した。

 イランもそれに反発して、核兵器開発活動を再開。

 イランにとって不幸だったのは、ヨーロッパの3国が米国の理不尽な離脱に対し、抵抗を示さなかったことだ。

 転機は2021年1月。

 合意を結んだオバマ政権で副大統領を務めたバイデンが米大統領に就任した。

 核合意復帰を公約として掲げていたバイデンは、2021年4月に核合意を復活させるため、イランのロウハニ政権と協議を開始したのだった。

 両政権の間で、2021年6月までに6回の交渉を積み重ねていた。

 しかし、イランでも政権交代が起きる。

 反米保守強硬派のイブラヒム・ライーシが大統領に就任し、核合意再建交渉を中断した。

 核合意再建交渉を離脱したライーシだが、ヨーロッパなどの仲介もあり、2021年11月29日から交渉の席に戻り、第7回目協議が始まった。

 しかし、イランは一方的に離脱した米国と、直接交渉する義理はないとして直接交渉を拒んだ。

 その結果、議長役のEU、ドイツ、フランス、イギリス、中国、ロシアがイラン、米国それぞれと会談し、伝書鳩のようにお互いの会談内容を伝えるなど、時間を要する協議となった。

 さらに、この交渉の1番の難題は、「時間がない」ということである。

 交渉中もイランは、ウラン濃縮を続けていた。

 そのため、核兵器1個分の高濃縮ウラン(約90%)を入手するまでの時間(ブレークアウトタイム)が、数ヶ月であることから、その前までに決着させなくてはならなかった。(イラン側は再建交渉が失敗してもウラン濃縮を60%以上にあげないことをほのめかす)。

 途中、ロシアによるウクライナ侵攻がありながらも、進展を期待させるような報道が相次いだ。

 しかし、2022年3月、イランはイラン革命防衛隊(IRGC)の米国におけるテロ組織指定(FTO)の解除を求めた。

 バイデン政権は物価の高騰や、急激なインフレにより支持率が低下していた。そのため、国内支持基盤が弱い状況でイラン革命防衛隊のFTOを解除するのは容易ではない。

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