清少納言さま、令和の備忘録
春はさえずり。小説かマンガのワンシーンがわたしの枕元へも届いてくる。
鳥の名前を知らないから、ウグイスが鳴くと一緒に登校していた旧友に再会したような、独りぼっちかもしれないと赴いた先で知り合いに遭遇した安堵感と重なる。
メジロとウグイスの見分けがつかず、緑色の愛らしい丸いフォルムは春が来たねと喜んでいる。
長雨のときはどこへ隠れているのだろう、囀りがない朝は雨が縦に落ちる音が窓を隔てて聞こえてくる。
春は早々に暑くなり湿度が増すと夏になっている。
夏はレゲエ。そしてHIPHOPがかかせない。
裏拍でリズムを取るレゲエは周りと逆張りに生きているのではなく、緩く関わりたい著れで、HIPHOPはわたしのアグレッシブな気質を音にしている気がする。
いずれにせよ、人から偏見の目で見られ、
「おクスリやってそう」
そうだよ、一年中アレルギー。どうだ、参ったか。
EDMも聴いてるぞと言い返そうものなら、危険人物認定されるのはロックバンドをやっている人にも共通して「なんかヤバい人」
フォークソング世代から生まれた娘は、グループ名もどんな歌を歌っていたかも分かってない。
実家の棚にあった、
「あの素晴らしい愛をもう一度」
17年連れ添う愛猫の奈々しか浮かばないのは、「なんかヤバい人」ではなく「かなりヤバい人」なのかもしれない。
日暮れの早さが秋へバトンを渡す。
秋は虫の音。田舎暮らしだろうが、庭から鈴虫やマツムシの音を聴いたことがない。
なんならカブトムシも田舎で見ない。それらはペットショップにいる虫で、山の快適さを知るなら民家へは彷徨ってきたのか。
コオロギやキリギリス、
「スイーッチョン スイーッチョン」これは何?
遠くからの野焼きの匂いが秋の訪れを知らせる。
休耕田の雑草を始末しているのが分かる。
朝っぱらから草刈りが終わった青い香りがする。
晩秋になると落ち葉を焼く匂いは焼き芋を想起させ、高い空へ並ぶいわし雲。冷えた空気は心をセンチメンタルにする。
人肌恋しくなりながら、奈々を抱きしめる。
奈々が側にいるだけで緊張から解き放たれるような
「わたしの虚無は誰にも埋められないわ」
潔い諦めはそろそろ棺桶が近い標だろう。
恋も愛も実感するなどなく、他人の嫌な面で殴られ殴り返しながら長年を費やしていく。
そんな人間が人へ優しくなれっこないよ。
いいんだよ、その分、ネコに愛されているもの。
神さまに愛されているのと同然で、何かしら運がいい。
厚い羽織ものから、手袋とコートに変身する冬。
冬は積雪。庭がまだらに白くなり始めた頃から日常の音は限りなくミュートされてゆく。
真夜中にゴミ捨てへ出ると、うっかりマンホールで滑ってしまい、両手を広げてバランスを取る自分が誰かに見られたんじゃないかと後ろを振り向く。
防犯灯や街路灯を斜めに横切る雪の流れ。
雪と雪が擦り合う音。それなのに静まり返る普段の光景。気持ちがリセットされていく静寂。
「何か詩を書いてみたいな」
今は何も浮かばないが、いつか書ける日が来ると呑気なのがわたしらしい。
取って付けたようなポジティブで綺麗な語彙は、
わたしの心境じゃなく、他人へ見せる用。
人へ啓発する前に自分を啓発してろと感じる。
それも今は昔。
気づけばわたしは黙々とやるべきことへ注力し、
我が身を構うなどおざなりにして、ありのままの自分になりかけていた。
朝はせっせとストレッチ。夜は顔パックにネイルを塗り替え、動画を観ながら浮腫取り。
男性のムダ毛は色気があるのに、女のムダ毛は自堕落に見え、羊の毛を刈るように手足の毛を電子バリカンで剃ってゆく風情もへったくれもない、わたし。
☆*:.。. 自分なりの枕草子.。.:*☆
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