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嶋津さんのポスト・ぜひnoterに読んでほしい

【全文】
「コーヒーがほんとに好きな人しか来なくなるコピーを書いてくれ」と依頼されたことがある。求道的にコーヒーを表現しているオーナーで、自分の感覚に合う人しか店に足を運んでほしくないのだ、と。要するに「ことばの力でフィルターをかけてくれ」という意図だった。極端な例だけど、SNSでもこういう感覚は大事で、すべての人に理解してもらおうとするとメンタルが破綻する。「伝わればいいな」という希望は美しいけれど、「理解させよう」とした瞬間、それは傲慢に変わる。この間を揺らぐには体力が必要で、体力のない人は耐えられなくなってこころの調和を崩してしまう。そうならないためにも、ある程度フィルターをかけておくこと。精神的にも、ことばの表現においても。

詐欺広告や迷惑メールがわかりやすいのは、疑いを持つ人をハナから相手にしていない。無視されようが、何を言われようが関係なく、「届くべき人に届けばいい」と割り切っている。行い自体は悪でしかないが、あのスタンスには健全なメンタルを保つためのヒントがある。

そもそものエントランスゲートを狭く設計するか、ゲートを広くしつつも「届く人に届けばいい」と割り切るか。そういう在り方を自分の中で決めておくと、こころへの負担は自在に調整できる。これは、SNSを扱うすべての人が持ち合わせておくべき感覚だと思うのです。

˚✧₊⁎ここからがももまろ⁎⁺˳✧༚

自戒を込めて

文章を書くとは
自分を100%他人に理解してもらおうなんて
100%無理だから
100人いて、1人の理解者がいれば幸いだよな
1人、寄り添ってくれる人がいたら贅沢
…などと自分に言ってるよ

冒頭だけ読んでくれたら嬉しいし
最後まで読んでくれる人がいたら
握手してお礼が言いたいもん、わたしはね

特にわたしの文章はフィルターをかけなくても
ゲートがなくても、独善的だからさ

書き手と読み手の想いは異なり
書き手が太字にして
「ここを読んでください」判りやすく示さないと
読み手は、自分の現在の気持ちで読む

文章全体のどこへ
読み手が共感するか、感じるものがあるか
読み手自身の投影する部分で
書き手の伝えたい個所と違ってくる

書き手が読み手からコメントをもらって
「そこじゃねぇよ」
いちいちメンタルが潰れるなら
書く休憩を挟むなどの工夫し、息継ぎする

会社のブログなどを書いていた時代は
癖がない、凡庸な文章を書いていた
「この会社にしよう」
お客様の決断を後押しするには
理解は不可欠で、個性の優先度は低い

SNSで呟くにしろ、エッセイにせよ
吹っ切って投稿しているのが
長く続けるコツになるかもしれないね

#嶋津亮太さん

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