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有料記事は書かない信念なので

ネットに書いてない、境界性人格障害について

診断されたときは、暫く誰にも言えなかった
「人格障害」って、人間失格の烙印に思えた

まずは幼なじみに話し、それから母ヘ話した
去年、noteで告白したときは
半分、noteを辞めてしまって良いと考えていた

境界性人格障害の前触れは、加害恐怖症だった
外へ出るのも、生きているのも申し訳なく
肘の裏にある、大きな血管を刃で切りつけた
今でもケロイドになり、残っている

道を歩いてアリを踏んだら、どうしよう
すれ違いざまに他人を不快にしたら、どうしよう
わたしは呼吸するだけで、無駄に酸素を奪って
誰かの吸いたかった空気を取り込んでいる
モノの命を考えて、食べられなくなった

同時に、わたしは人から見捨てられる
気分の波より、砂丘から滑り落ちる感覚しかなく
空虚な気持ちから、生きる資格がない
ここまで、自分を追い詰めてしまった

搬送先の病院から、実家へ連絡があったようで
心配した母が、わたしの家までやってきて
一つずつ、丁寧に質問しながら話を聞いてくれた

母は
「人の運が悪いのは、ももちゃんのせいじゃない」
誰も傷つけない聖人君子でありたい願望が強く
良い人であろうとするのを、生き甲斐にしている

思わぬことで、人は傷つく傷つける
これはお互い様で、仕方ないことと受け入れて
人は完璧じゃない

世の中には、自分の落ち度さえ
他人のせいにして、騒ぎ立てる人もいる 
そういった人からは、離れなさい

ももちゃんは
そういった人の声を全部自分のせいだとしている
…記憶に残るのは、ここら辺

母の言葉を飲み込めず、納得してなかったけど
十数年経つと、母の言うことが理解できた

二人の幼なじみがアシストしてくれたのも、大きい
わたしの目の前で
自分の過失をわたしのせいにする人へ
「ルールを守ろうぜ、オバサン」と庇ってくれた
レオ氏の存在もある

昔とは、かなり強くなったとは言え
運転をしていて、遠くでクラクションが聞こえると
「わたしのせいかな」萎縮するときがある

愛着障害があるゆえに、愛を信用できない

以上が、境界性人格障害のわたしから
「もしかして、自分も人格障害かな」と悩む人へ
参考になれば良いと願い