今週のnoteにある流行は『祈り』
宗教学に長けた友達へ「祈りとはなんぞや?」
質問をしたら
「神へ自分の願いを叶えるために交換条件を
打診しないこと」と、教えてくれた
もっともだ、聞いていた
祈りは自分の行いのためにあるので、行動に影響し
祈りの意味として存在する
神は願いごとの成就をプレゼントしてくれる存在
ではないもんね
そもそも祈りで、神や他人を変えようなんて
どんだけなんだと言うね
アインシュタインは「神を信じるか」の質問に
「スピノザの神を信じている」と答えたという
わたしは、又聞きだけど
「スピノザの神」とは
バールーフ・スピノザという
17世紀に存在した、哲学者で合理主義者
スピノザの哲学は、完全な論理に基づき
神を世界の幾何学的な秩序として認識
それは自然の完璧さの中に現れている、としていた
祈りとは、こういうことかとわたしは思う
神や仏、なにかを通して内観することなのだろう
誰かの幸せを祈るなら
自分にできることはなにか?なのかもしれない
わたしにできることは手を差し伸べることではなく
素知らぬ顔をして、なりゆき任せにする
責任がとれないことはしない、と思った