良心がなければなんでもできる
①
社会学の中で
「良心があるから悩む
良心がなければなんでもできる
良心があるからできないことがあるんだ」
「自分を高めるとは、悩みの次元を高めること」
教授が話すことを、車内の道中に置き換え
なんとなく理解したつもりでいた
社会経験のないわたしは
車内に高齢者が乗ってくると席を譲り
「人を年寄り扱いするな」
車両中に聞こえそうなほど大声でお叱りを受けた
それからは
耳には常にウォークマンからの音楽が流れ
見て見ぬ振りをし
「席を譲るなら妊婦さんだけ」
スカした顔をして、心は穏やかじゃなかった
こんなに疲れるなら立っておこうと決めたのも
学生時代だった
優しさは行動しても後悔が募り
更にはネットの発達で、見なくて良い意見に
自分の間違い探しをしていた
②
わたしは人様を大きく傷つけ
死にたい、消えたいと悩み続けたとき
noteへ自分宛のメッセージを書いた
わたしがわたしへ優しくし、心に余裕がないと
誰にも優しくなれない
先にわたしを救ってやらなければ
人に優しくするのは口では易しく、行うは難しい
優しさは「人に与える行為」で
わたしに余力がなければ到底できない
人様を大きく傷つけ、自分への期待値が下がった時
わたしは自分を慮り
つらい状況でも何らかの価値を見出し
他人を気にせず楽しむ度胸を持ち
少しずつでも力を蓄積してきた
③
優しさは基本的に目には見えなく
礼を言われることがないのを知っている
それでも悩んで動けないのはなぜか
目に見える優しさは、相手へ無意識に負担となり
相手にとってわたしは重く
やがて、わたしへ辛く当たる動機に繋がる
優しさが不要な人に優しさを押し売りすると
余計なお世話をするヤツとして認識され
舐められたり、マウントされたり、威嚇に発展する
誰に、いつ、どのように優しさを使うか
優しさは手段であり、目的ではない
優しさのタイミングを考える方がずっと大切で
だから、悩んで動けなくなってしまう
④
「良心があるから悩む
良心がなければなんでもできる
良心があるからできないことがあるんだ」
SNSの発達で、教授の言葉が皮肉にも刺さり
優しさは本質的に自分のためにある