小説: ペトリコールの共鳴 ④
第四話 自己実現的な言及
白い靴を買ってもらった。
ドールシューズというもので、人形へカスタマイズする2センチほどのスニーカー。
「タツジュン、靴が重い」
「まあ、ハムスター用じゃないからな」
タツジュンが再就職して僕は家で留守番が増えた。独りぼっちでも動画はあるし、退屈しないが何かが足りない。
天気が良い日は鳥が気まぐれな往来と、木は生えたばかりの葉を風にヒラヒラ見せている。外は楽しそうだな。5月は木の葉が光っている。
僕が外へ出たのはペットショップからタツジュンの家に来るまでの道中と、タツジュンを助けに行った期間。
不安ばかりの自由より、心が囚われない不自由は幸せであるので不満は言えない。
アウトドアの動画ばかりを観ていた僕を察したタツジュンは白い靴を買ってくれた。
明日の休みは外食へ連れて行ってくれると言う。
「外食かぁ。焼肉とかレストランかな」
タツジュンが家で食べるラーメンと動画で観たラーメンは違う。
もしかして、ラーメン屋さんかな?
いびきをかいて寝るタツジュンの横で、僕は空想が止まらない。中華なら円卓の上に座らせてもらえたり、寿司屋ならベルトコンベアで遊ばせてくれたりかな。
朝になるとタツジュンは亡くなった遥香のスマホをチェックしてイヤホンを取りつける。
僕とはイヤホンのマイクから話ができる仕組みで
リュックサックのメッシュ素材になったポケットへ僕と遥香のスマホが差し込まれると、まだ早い時間から外へ出た。
タツジュンは少し歩くとビルの地下へ降りた。
地下のフロアは大きな雑音と甲高い規則音がする。
人と人が交錯して、どこからかうねりのある音。
金属と金属を擦り合わせた轟音はチャイムと共に扉が開き、閉まる。女の人の声が上から降ってきた。
「キンクマ、聞こえるか?これが地下鉄だよ」
メッシュのポケットからは人の服しか見えない。
タツジュンが動いた。同時にさっきより人の体重が一気にかかる。タツジュンが歩き、止まる。
壁がスムーズに後方へ流れていく。
「タツジュン、何かに乗ってる?」
「エスカレーターだよ」
リュックの揺れが気持ちよく、僕は目を閉じた。
昨日読んだブログには、外で食べるご飯は格別美味しいと書いてあった。
白い靴を買ってもらって、
外へ連れて行ってくれるだけでも、
僕は格別に美味しい外気や匂いに触れている。
外が楽しいとか、
外食が美味しいとか誰にも教わってない。
でも、見たことのない社会は手足を伸ばしなくなるほど期待がそこらじゅうに散乱している。