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他人を分かったと思った時点で

理解や共感って、本当にし合えるものなのか

わたしのメンタルは、地上ギリギリまで開かない
パラシュートを背負って落ちてしまう
誰かに共感して欲しくて、noteへ書く 
理解や共感がわたしの救いになると思って

だけど、なんだか違う気がして

誰かが悩んでいると
「わたしも昔、似たようなことがあったよ」
当然のように口に出していたけど
それは相手にとって欲しい言葉なのか

わたしの過去をアドバイスと受け取り
「じゃ、実践してみようか」となるか

落下傘に吊るされたメンタルに
欲しい言葉は「分かるよ」なのか

「よく分からんけど、力になれるか分からんけど
だけど、孤独じゃないってのは覚えておいて」
一見、突き放すような期待させないセリフかな

結局、わたしは苦戦しながら地上に降りる
それは、一人ひとり努力の方法が違うのだから
自分は見捨てられてない、という灯りがあれば
それだけでいいんじゃないかって

他人の気持ちは分からない
分からないから同じ視座に近づこうとする
「ひとりで抱え込まないでね」と言える

誰かが悩みを持ったとき
他人へ理解や共感のカンフル剤は、一過性であり
根本的解決へ導くものなのか

他人の痛みや大変さは、想像の域を超えない
個々の個性や生きてきた環境が異なるのだから
分かるわけがない

他人を分かったと思った時点で
他人の苦労への認知の歪みが始まる、と感じた