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こぼれちゃった自己紹介。

今日の朝は、
エクアドル産のバナナ、ファボリータ(favorita)。
ヨーグルトはカスピ海のやつ。
そして、インスタントコーヒー。

これが、わたしの朝の定番メニュー。バナナ、ヨーグルト、コーヒー(気分次第で紅茶やハーブティー)。

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はじめまして。本屋しゃんこと、なかむらしょうこと申します。
今は、野に放たれて、本屋しゃんという屋号で、本とアートを軸にしたトークイベントの企画開催をしているとともに、下北沢にある本屋のアンテナショップBOOK SHOP TRAVELLERを間借りして、小さな小さな本屋を営んでいます。今日は、こぼれてしまった自己紹介をしようと思います。そう、王道の自己紹介からはこぼれちゃう、わたしの人生のさまざまな要素たち。


早起きは結構得意で、毎朝5:00には目が覚めます。
何するわけでもなく、毎朝、大好きなバナナをむしゃむしゃ食べて、こっそりしているラジオの録音をして、スクワットを100回こなして、出かける準備をします。


生まれは新潟の新潟市です。大学まで新潟にいました。
幼少期は、西蒲原郡の巻町というところで育ち、そこから新潟市内の幼稚園に通っていました。幼稚園は嫌いでした。近所のお寺で遊んだり、父親の会社のスタッフの人たちにかまってもらったり、年上の人たちと一緒にいることが好きでした。床に絵本を敷き詰めてみたり、蒲団にぬいぐるみをつめてみたり、意味不明な遊びをしていたように記憶しています。一体、何がしたかったんだろう。弟が持っていたキングコングのフィギュアが怖くて近寄れませんでした。ある日、ラーメンを全身にぶちまけてしまい、水を入れたバケツに浸されました。おばあちゃんと、ウルトラマンを見るのがすきでした。だからでしょうか、よく夢でウルトラマンの怪獣とおままごとをする夢をみました。そう、ウルトラマンより怪獣がすきでした。特にピグモン。サンタクロースはいると信じていました。だって、英語で手紙が届くんだもん。五味太郎さんの『らくがき絵本』が大好きでした。本に落書きできるんですよ。本はきれいに読みなさいの逆。ね、最高でしょ。わたしの本好きと美術好きがクロスした瞬間はこの本にあったのかなと、今思う。


小学校に入る前に、巻町から新潟市に引っ越しました。新潟市内の大学の附属学校。受験をして小学校に入りました。積木は何個ありますか?とか、間違い探しとか、そんなのが入試問題だったと思う。小学校も嫌いでした。図書館で本を読んでいる時間が幸せでした。ちょっと寂しかったけど。こまったさん、わかったさんシリーズと、江戸川乱歩の少年探偵団シリーズを貪りました。小学校1年生の頃の担任の先生は大好きでした。その先生と交換日記をしていました。先生からどんなメッセージが返ってくるか、楽しみだったな。それを6年間続けました。ホッチキス止めしたような本を作って、教室の後ろにおいて閲覧できるようにしていました。どんな本だったかな、たしか4コマとかそんなんだったと思う。そういえば工作クラブの部長だった。七宝焼きをひたすら作ってた。はじめて、抱いた夢は「ピカソ」になることだった。スキー合宿は初日で捻挫をして、ずっとトランプをしていた。今でもスキーは滑れません。修学旅行は佐渡。再訪したい場所。


中学も同じく、大学の附属学校。受験して入りました。中学校もあんまり好きじゃありませんでした。中学時代の私は、学校の勉強が本当に嫌いだった。そのかわり、洋服をリメイクすることにハマっていました。プリクラが進化しはじめて、学校の帰りによく友だちとゲーセンで撮った。新潟ではプリクラのことをシールと呼んで、みんなシール帳なるものを作ってた。体育祭では、だいこん踊りを3年間おどったな。東京農大のあれ。修学旅行は沖縄だった。タクシーの運転手さんに、知る人ぞ知るという小さなビーチに連れて行ってもらった。すきとおる海と、サラサラの砂浜。はじめての飛行機だった。ベルトをしっかりきつく締めた。中学3年生の頃、「君は、心理学を学ぶといいよ」と担任の先生に言われる。所謂、いじめられていたこのタテになったことがきっかけだった。ひょんな一言だったけど、私の人生に新しい道がうっすら見えた。それまでは、芸大に行くぞ!といきこんでいた。だってピカソになりたかったから。アートへの道はそれしかないと思ってた。


高校は女子校で、ミッションスクールだった。入学式に先輩たちが校歌を歌ってくれたけど、女性の声ばかりなのに圧倒されつつ、なんだか違和感を抱き、ちょっと不安になった。宗教の授業があったけど、好きになれなかった。宗教を学ぶのではなくて、道徳を押し付けられているようで。タブローという劇で、ヨセフを演じた。髪が短い、髪ツンツンしすぎ、靴下が短い、スカートも短いといつも怒られていた。もっと女性らしくいなさいと。髪をツンツンさせて常にいろんな情報をキャッチしているのですって答えたけど、無視された。学校の目の前の家は、クリスマス時期になるとイルミネーションがハデハデだった。修学旅行はハワイだった。はじめての海外だった。だけど水着は禁止だった。私が籍をおいていた特進コースには、美術の授業はなかった。新潟大学の哲学の授業を受けていた。カントの純粋理性批判に関する授業。手書きのレポートを提出した。たのしかった。CDショップで、結婚することになる男性と出会った。東京に住んでいる20歳年上の男性だ。

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大学は新潟大学に進学した。行動科学課程 人間学コース。美術を学びたくて哲学の道を選んだ。一人暮らしをはじめた。大学の正門から徒歩3分くらいのところで。美術部に入ったけど、いろいろあって、行かなくなってしまった。男女関係はめんどくさいと思った。よく友だちと、日本海を見ながら浜辺で飲んだ。ビールとか、ワインとか。単位にならない授業もたくさんとった。宗教学のおかげで、高校時代に嫌厭してしまった宗教に興味を持つことができた。学問として。いつもエビのネックレスを自慢してくる男性学生がいた。元気かな。メディアリテラシーの授業で見た、スパゲッティゾウムシの映像が強烈だった。名画を立体化してみようという授業で、マティスの《ダンス》を立体化してみた。なかなか好きで、今でも実家に残っている。とある教授の研究室に足しげく通い、ラーメンズのビデオやDVDを借りた。1度だけ、一緒にお笑いを見に行ったな。ゼミの先生の研究室もたびたび訪ねて、卒論のことはもちろん、あれやこれやと相談をした。私その先生のゼミの一期生だった。卒論は「ドゥルーズにおけるシミュラークルとその可能性」と題したものだった。シミュラークルいえば、ボードリヤールでしょう、卒論でドゥルーズはやめたほうがいいとアドバイスをもらったけど、押し切ってしまった。学芸員の資格をとりたくて、必要な単位を粛々ととっていたけど、いざ、館努実習の段になって、担当教員から、哲学なんて学んでいたって即戦力にならないからね、今は実習生であっても美術館も即戦力がほしいんだよ。と言われ、そんな資格ならいらないよと思い、辞退した。世渡りが下手だ。だけど、大学は好きだった。ガシガシいろんなことを吸収できた。「水と土の芸術祭」の手伝いをしていたら、新潟で頑張る若者として「きらり☆夢ファイル」という番組で特集してもらった。☆が真ん中につくのである。番組のナレーターは仲村トオルだった。あのいい声で「しょうこ」と呼び捨てにされた。赤面である。番組内のインタビューでは、偉そうに、アートって世界を広げるから、多くの人に体験してほしい、そのために敷居を低くしたいとか語っていた。ふたたび赤面である。


就職活動は東京でしかしなかった。「コンセプチュアルにいけ」、彼がくれたこの言葉を胸にふんばってみたけど、ことごとくダメだった。就活中には東京でたくさん映画を観て、たくさん展覧会に足を運んだ。今はなき、スペイン坂にあったシネマライズで開催していたデヴィッド・リンチ特集は何回も通った。そこで、はじめてリンチのアニメ―ション作品を見た。東京っていいなと思った。原宿に浮世絵の専門美術館があることを知る。太田記念美術館。原宿の喧騒から逃れられるこの美術館は、就活のストレスから解き放してくれた。


就職先が決まらないまま、大学を卒業してしまった。
だけど、上京をした。
東京はわたしが好きなものがたくさんある、新潟ではできないことがたくさんあると思っていたのだ。その頃は。


それからほどなくして、青山ブックセンターが運営をする青山ブックスクールで働くことが決まった。とても嬉しかった。
23歳で結婚をした。ニューヨークのハーレムの教会で家族のみで挙式をした。
ドラムロールで入場して、ゴスペルにつつまれた、最高にファンキーな結婚式だった。

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ここから、わたし、なかむらしょうこはだんだんと本屋しゃんへの道を歩むことになる。
こんなに、いや、これ以上のこぼれた自己紹介を背景にしながら。


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【プロフィール】
中村翔子(なかむら・しょうこ)
本屋しゃん/フリーランス企画家
1987年新潟生まれ。本とアートを軸にトークイベントやワークショップを企画。青山ブックセンター・青山ブックスクールでのイベント企画担当、銀座 蔦屋書店 アートコンシェルジュを経て、2019年春にフリーランス「本屋しゃん」宣言。同時に下北沢のBOOK SHOP TRAVELLERを間借りし、「本屋しゃんの本屋さん」の運営をはじめる。本好きとアート好きの架け橋になりたい。 バナナ好き。本屋しゃんの似顔絵とロゴはアーティスト牛木匡憲さんに描いていただきました。https://honyashan.com/


【こちらもよろしくです】
①わたしたちの南方熊楠ー敷島書房と本屋しゃんの往復書簡

敷島書房の一條宣好と本屋しゃんの中村翔子は、それぞれにひょんなことから南方熊楠に出会った。そんな2人が、1冊の本を『街灯りとしての本屋。』をきっかけにお互いを知った。この誌面は、南方熊楠と一冊の本の縁によって出会った2人の本屋の往復書簡である。
https://note.com/kumagusutegami15

②・・・についてを書き綴ります。
「CDショップで、結婚することになる男性と出会った。東京に住んでいる20歳年上の男性だ。」の人のnote


【オンラインブックフェアはじめました】

 ONLINE ブックフェア 映画「タゴール・ソングス」誕生記念
100年後に、この本を心を込めて読む、あなたは誰ですか?

期間:2020年5月1日〜100年後もずっと続きますように。
会場:note & 全国の本屋さん(募集中)



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わたしが、はじめてインドを旅した時の日記ZINE『あなたが見せてくれたガンジス川ーインド旅日記』。下北沢の日記専門店「日記屋 月日」さんのデジタルリトルプレスプロジェクトによりPDF版で販売していただくことが決まりました。ZINEも引き続き、月日さんにて販売していただいています。

この日記が、あなたの「月日」に寄り添えますように。

 

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