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自己受容なんてできない

本当の自己受容を知れば、人生が変わります。
自己受容とはよく聞く言葉かもしれません。
言葉では説明しづらい部分が多々あり、そして、100パーセント理解してこそ、人生が変わります。
私は、自己受容を習得するために、多額の投資をしてきました。
ことごとく失敗に終わりました。
もう私には無理かもしれない。
ここで、ゲームオーバーなんだ。
そう思い絶望した矢先でした。
ある情報に出会い、何気なく聞き流していると「!」もしかしたら、今までのやり方は間違っていたのではなく、100パーセントできていないから、駄目だったんだと気づきました。
100パーセントと聞くと、完璧にやりこなさなければならないと思うでしょう。
ですが、そうではないのです。
100パーセント不完全な自分を受け入れるということだったのです。
私は完璧完全にはなれない。
「だから、あきらめる」のではなく、「それを受け入れる」ということで100になると知りました。

私は長年自己受容に取り組みましたが、結局できないという結論に至ってしまいました。本当の自己受容に気づくまでは。
私の人生といえば、40年近く悩みの連続でした。
そして「私はついていない」「私は不幸」そんな風にずっと思ってきました。
そんな風にネガティブな思考になるのにもちゃんと理由がありました。私なりのですが。
「だって、親にありのまま受け入れてもらえなかったから」
「だって、離婚したから」
「一生懸命子育てしたって子供は不登校になってしまったから」
「子供から暴言を吐かれるから」
「お金がないから」
「ビジネスがうまくいかないから」
まだまだあります(笑)
でも、それを放置していたわけではありません。
散々努力を重ねました。
・親との関係をよくしよう
・子供との信頼関係を取り戻そう
・ビジネスを習得してお金持ちになろう
・・と、目標を定めて、そのために何をすればいいかを調べ、お金を投資し、時間をかけました。
努力をしている(と思っている)最中は、「私はやっぱりついてる」と思いながら過ごしていました。
希望があると、ポジティブな感情でいられました。
自分なりの方法、または、マンツーマンでプロに指導してもらい一定の期間(半年とか一年とか)過ぎたころ、一瞬ゴールに到達したような気になって、テンション的には最高潮ということも少なくありませんでした。
「これだけお金をかけたし」とか、「これだけ努力したんだから」必ずゴールに行くと思っていました。
ところが、期間終了後の私は、というと、ただお金と時間を失っただけという状態でした。メンタルは底辺に、、
そして、お金と時間をかけて勉強する前よりも、メンタルがボロボロになっていました。
「こんなんだったら、やらなければよかった」と思ったことも何度もありました。
ネットで情報をとれるし、自分で方法も選択できることが、自分にとっては遠回りの原因ともなっていました。
「次こそは本当の情報だ」と思い、やってみて「やっぱり違った」という繰り返しを何十年も繰り返していました。
そして、ついにお金が底をつきました。
借金だけが残りました。
そして、時間も過ぎて、長男は高校2年で、どんどん成長していました。
自分の年齢も気づけばアラフィフになりました。
そして、長男には愛情をかけてきたつもりなのに「あんたのことは母親と思っていない」「見放している」と、言われる始末でした。
「一体私はこの先どうすればいいの」と路頭に迷ってしまい、そして、さらにメンタルは底の底へと落ちていきました。
そんな、まさにお金も心もがけっぷちのときに、ユーチューブで動画をあさりまくりました。
無気力状態でも、動画をみることだけはできました。
そんなとき、自愛の言葉が目に留まりました。
自愛とは、つまり自己受容のことです。
ただ、私がこれまで行き詰まりを感じていた自己受容とはやり方、考え方が違っていました。
なぜ、これまで私が自己受容できなかったのかがだんだんとわかるととともに、自分の中に新しい考え方が浸透していくのを感じました。


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