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ほのぼの日和#10 目的と偶然

今回は、前回の投稿と若干矛盾するようなことについて書きました。前回に続いてじゃあどうすべきか、ぐだぐだ考えていたら、結局生きる目的って、目的って何なのか、、、ってなりました。

他の人と何かをするとき、目的をきちんと共有してしっかり持っていなければ崩壊してしまう。授業もそうだと思う。だけど、果たして目的に沿ってうまくいった、流れた授業がいい授業なんだろうか。もちろん教員の想定通りいくのはいいこと。だけど、それだと生徒はレールにのったただの電車。教員の思うままに動かされる駒(ちょっと言い方悪いかな)ビースタのいう自動掃除機。やっぱりどこか生徒は自分の期待をいい意味でも悪い意味でも裏切ってくれるもの、そういう意識がどこかで必要なんじゃないかと思う。
 
目的をもつ、設定することは大事だけど、人が生きてるって目的のためだけに生きてるわけじゃないよなあとも思う。もちろん、大きな目的のもと生きてる人も大勢いると思うけど、すべて目的のためってわけじゃないだろうし、突然ふってきたこと、たまたま出会った人のために何かをしてあげたり、たまたま友達から連絡がきたから遊びに行くとか、こう誰かから言われたから考え直してみたとか、生きるって偶然の重なりじゃない?
目的がないことは悪いこと、じゃないかもしれない。
 
矛盾するようだけど、目的を持ちながらもどこかその目的にがんじがらめになるのではなく、どこかゆとりをもっておく。自分の中に空白部分をもっておく。そしてなにかふと落ちてきたときに、そこで受け止められるように。

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