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葉桜

 その日は、おにぎりではなく、サンドイッチの気分だった。

 ときどき、軽く食べれるものを買って、自然鑑賞に出かける。自分にはしっくりこないが、ピクニックと言い換えてもいい。もちろん、一人で。
よく持っていくのは、三つの味が入ったおにぎりと、紅鮭。これだけでも、それなりにお腹が満たされる。でも、その日は、果物のカラフルさとそれをサポートするホイップの白さに心を奪われ、フルーツサンドイッチを購入した。

 四月の終わり頃から、行こう行こうと思っていた場所に足を運ぶ。
 そこは例年、桜を見にくる場所だったが、今年は色々たてこんで、行けずじまいになっていた。そのことが少しだけ心残りだったことと、単純に桜のない風景を見るのも面白いかもしれない、という好奇心に駆られて、行き先に決める。
 到着してまず目に入ってきたのは、新緑の葉桜だった。その清々しさに圧倒されて、思わず「すげえー」と呟いてしまう。

「葉桜の中の無数の空さわぐ」

 「すげえー」の次に口をついて出たのは、上記の句である。頭の片隅に記録されていたものが、目の前の風景に導かれ、ウニョっと出てきた。誰の句なのか、どの本に書いてあったのか、何一つ思い出せない。
 心地よい風が吹いている。さらさらと枝葉が揺れ、その中でちらちらと空の青が光る。まさに、句が描き取った風景そのものである。私はその風景を、フルーツサンドイッチとともに堪能した。

 帰宅後、ウニョっと出てきた句の出典を求めて、本棚を漁る。数十分かけて、お目当ての本を見つけるができた。

「葉桜は美しい。花の時とはまた違った、初夏のすがすがしいながめである。ところでこの作者も、葉桜の中に一つの発見をした。うす緑色の葉のあいだを透けて、無数の空の青が見え、そよ風が渡ると、それらの空ぞらがいっせいにさわぎ立つ。初夏特有の風の薫りの中に立って、作者は小さい無数のすき間から、引き入れられるように、底知れぬ空の奥処にながめ入る。」
山本健吉『俳句鑑賞歳時記』角川ソフィア文庫、P137)

 引用したのは、「葉桜の〜」の句とともに掲載されていた、山本健吉の句評である。
 文中にある「この作者」とは、「葉桜の〜」を詠んだ篠原梵である。彼は俳人で、「中央公論社」の編集者としても活躍した。
 口をついて出るほど、「葉桜の〜」の句を気に入っているにもかかわらず、その作者を知らないというのは何とも失礼な話である。
 私は何度も「篠原梵、篠原梵……」と呟いて、その名前を頭に刻み込んだ。



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