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現場読み

 椎名誠の『活字のサーカス』を読んでいたら、「現場読み」という言葉に出会った。
 「現場読み」とは何か。それは、ある本の中で取り上げられている場所に実際に行って、そこでその本を読むことをいう。
 椎名は、いつか「現場読み」してみたい本として、河口慧海『チベット旅行記』と植村直己『北極圏一万二千キロ』の二冊をあげて、その憧れを次のように語っている。

「どちらの地も、そのとおりなぞって歩くには厳しいところなので、これはなかなか"現場読み"というのはできそうにもないが、それだけにいつか何かのチャンスがあって、そこにおもむくことができたのなら、かれらのロマンの残滓を現地の風の中でほんの少しでも嗅ぎとりたいものだ、と思っている。」
椎名誠『活字のサーカス 上』小学館文庫、P177)

 自身の読書生活を振り返ってみると、椎名のいう「現場読み」に当てはまることを、これまで幾度となく実践してきたことに気づく。それは、私が住んでいる京都という地と「現場読み」の相性が、大きく関係している。
 フィクション・ノンフィクションを問わず、京都を舞台にした本は数多い。紀行物は言うに及ばず、現代文学を例にとっても、万城目学や森見登美彦らが描く京都を舞台にした作品は、根強い人気を誇る。つまり、京都は「現場読み」にうってつけの土地なのだ。

 つい最近も、「現場読みしよう!」などと意気込むこともなく、それに近い行動をしていた。
 通読ができていなかった、益田ミリの『ちょっとそこまで旅してみよう』に、京都駅とその周辺が取り上げられていたことを覚えていたので、「ぶらぶら散歩しながら、記述と現地の様子を比べてみよう」と思い立った。

「今年はどこに行こう?
 去年は京都の東寺に行くつもりが、間違えて東本願寺に行ってしまったので、今年は東寺にしよう。そうしよう、そうしよう。というわけで東寺に決定する。
 JR京都駅に着いたら、八条口出口へ。歩いて15分ほどなので、散歩がてらに歩くことにする。しばらくすると五重塔が見えてきた。」
益田ミリ『ちょっとそこまで旅してみよう』幻冬舎文庫、P91)

 現地を訪れる前から、うっすら感じていたことではあったのだが、「東寺に行くつもりが、間違えて東本願寺に行ってしまった」というのは、なかなかアクロバティックなミスである。この二つの寺は、京都駅を中心にして逆の方角にあるからだ。
 実際に京都駅から東本願寺に向かって歩いてみると、「西本願寺に行くつもりが、間違えて東本願寺に行ってしまった」というミスならやりかねないと感じた。ただ、益田ミリの目的地はあくまで「東寺」である。

 東本願寺内をさらっと見て回ったあと、再び京都駅に戻り、その足で東寺へと向かう。道中でパラパラと益田ミリの本を捲りながら、「もう京都に住み慣れてしまってるから、ミスに共感できないのかな」と思ったりした。




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