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読み初め

 2022年1月1日から始めたnoteの定期投稿ですが、無事に12月31日まで一年間、やり抜くことができました。
 2023年も1月1日から、定期投稿をスタートします。
 今後ともご覧いただければ幸いです。

 一年のはじめに、自身の指針となるような本を、一冊選んで読む。
 私はこれを、「書き初め」をもじって「読み初め」と呼んでいる。

 今年の「読み初め」に読む本は、昨年の12月初旬には決まっていた。書店にて、たまたま手にした本の目次を眺めていたら、「新年」の二字が目に入り込んできた。
「ああ、もうそんな時期か……。お正月に読む本を決めないと」
 何かの縁だろう。そう思い、具体的に中身を確認しないまま、その本を「読み初め」本として購入することに決める。

 その後の数日間は、あまりの衝動買いぶりに、もう少し熟考すべきだったのではと後悔もしたが、正月まで開くことを禁じられた本を目の前にしていると、「こういう読書体験もありだろう」といつしか思えるようになっていた。

 さて、待ちに待った(?)お正月である。
封印していた本ーー色川武大『戦争育ちの放埒病』(幻戯書房)ーーを紐解くときがきた。
 もちろん、最初に読むのは、「新年」と題された随筆である。「題名とほとんど関係ない内容だったらどうしよう」とびくびくしながら、該当頁を開いた。

「私のところでは、私もカミさんも、新年をあまり特別の日に思わない。おめでとうもいわないし、屠蘇も呑まない。おせち料理も作らない。餅は好きだから貰い物でもあれば雑煮を喰べないものでもないが、それは平常だって同じである。むろん門松も供え餅もしない。第一、神棚も仏壇もない。」
色川武大『戦争育ちの放埒病』幻戯書房、P36)

 引いたのは、最初の段落の文章。正月を特別視せず、他の日と変わらずに過ごす、著者と妻の様子が語られる。たいへん落ちついた文章である。
 正月は、とにかく世間が忙しい。そんな中、このような静かな文章を読めるのは、シンプルにありがたい。

「私の新年の行事といえるものがあるとすれば、近隣の除夜の鐘をきいて、しばらくしてから、俺にとっては、正月も、もうこれで最後の正月になるのだろうな、となんとなく自分にいいきかす。こんなことぐらいだろうか。
 もっとも、これが最後の、といいきかすのは、正月だけではない。これが最後の桜だな、これが最後の暑さだろうな、これが最後の紅葉だからな、と四季の折り折りにそういいきかせている。」
色川武大『戦争育ちの放埒病』幻戯書房、P37)

 上記の文章に、ギュッと心を摑まれる。
 著者は正月を「あまり特別の日に思わない」としながら、一方で今年迎えるのを「最後の正月」だと思って過ごす。
 あらゆる日を特別視しない著者の姿勢は、ある意味であらゆる日を特別視することにつながっている。つまり、平日・休日・祝日の区別なく、あらゆる日を平等に大切に過ごす、ということである。

 色川は別の箇所で、正月とくに「これが最後の……」と自分に言い聞かせることが多いところから、正月はいまだ自身にとって「特別の情緒」を感じる日である、としている。
 私自身、正月だからといって、盛大に何かしようとは思わないが、わざわざ正月に読む本を12月初旬に決めるなど、新年が来るのを密かに楽しみにしていた面もある。

 正月から数日経てば、またいつもの日常が始まる。すべての日々は、私にとって「最後の〜」である。色川の思想に倣って、できるだけ一日一日を大切に過ごしていきたい。


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