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在野研究一歩前(39)「読書論の系譜(第二十一回):内村鑑三編『偉人と讀書 讀書に關する古今偉人の格言』(山縣圖書舘、1900)②」

 前回は、「在野研究一歩前(38)「読書論の系譜(第二十回):内村鑑三編『偉人と讀書 讀書に關する古今偉人の格言』(山縣圖書舘、1900)①」」ということで、『偉人と讀書 讀書に關する古今偉人の格言』の発行者や出版社について、簡単な解説を行なった。
 今回からは本文の内容に触れていきたいと思うが、その前に『偉人と讀書』の構成について触れておく。
 
 本書は、西欧出身の文学者・哲学者・批評家など合計72名が残した、「読書」に関する発言を、列記して紹介するものである。構成としては見開きで、左に原文(英語)を、右に翻訳(日本語)を、という形をとっている。今回は、計72名の「読書」論の中から、特に重要であると思えたものを取り上げて、翻訳(日本語)の方を引用し紹介したいと思います。

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ソクラテス
「他人の著書によりて汝自らの發達を計る爲めに汝の時を用ひよ、斯くして汝は彼等が苦心惨憺漸くにして達し得たる結果を容易に収め得べし」(P3)

⇒ソクラテスはギリシアの哲学者。説明の必要が無い著名な人物である。
 ソクラテスは言う。自身の成長のために、時間を使って他者の著した書籍を読もう。そうすれば、その他者が書籍を著す上で必要とした「苦労」を通過することなく、一定の知識を獲得することができる。


セ子カ(セネカ)
「如何に多くの書を藏するかは汝の名譽に非ず、唯だ如何に好き書を藏する乎を以て汝の誇りとすべし
 善く古今の著書を渉猟せんよりは、數篇の好著述を熟讀するの優れるにしかず」(P5)

⇒ルキウス・アンナエウス・セネカは、ローマのストア学派の哲学者。皇帝ネロに仕えたが、のちに謀反の疑い(ネロを退位させガイウス・カルプルニウス・ピソを皇帝に擁立するという計画)を受け、命令によって自殺した。著作に『寛容について』『人生の短さについて』などがある。
 セネカは語る。
 まず、「蔵書」については、ただ単に大量の本を持っているということを誇るべきではなく、どれだけ内容の優れた本を有しているかに注目すべきである。
 次に「読書」については、とにかく古典から卑近に出版された本を読み漁るという行為はあまり賢いとは言えず、むしろ少なくてもいいから、内容の優れた書籍を「熟読」することが大切である。


プルターク(プルタルコス)
「吾人は食物を欲するの念を以て書籍を思はざるべからず、即ち最も味好きものを得んとせずして最も滋養多きものを要むべきなり、二者孰れも禁ずべきものに非ざるも、吾人の寧ろ要むべきものは後者にあり」(P5)

⇒プルタークは、ローマ時代のギリシアの著述家。ローマで哲学を教えたり、デルフォイのアポロン神殿で神官を務めた。著作に、ギリシアとローマの偉人たちの業績を紹介した『対比列伝』(英雄伝)や、『随想録』のモンテーニュに多大な影響を与えた『倫理論集(モラリア)』などがある。
 プルタークは述べる。
 私たちは食べ物を欲するときと同じ感覚をもって、書籍のことを考えなければならない。要するに、自分の最も好きな味のものではなく、最も滋養の多いものを手に取るべきである。前者の選択肢を「禁止」するまではしないが、私たちは積極的に後者を選択すべきである。
 ―「食事」と「読書」を重ねての「読書論」、面白い。

 以上、ソクラテス、セネカ、プルタークの「読書論」を紹介した。
 どの発言も、至極真っ当な内容のものばかりで、とくにセネカの「蔵書の良さは量では決らない」や「熟読が大切」は、これまで「読書論の系譜」の中で幾度も目にしてきた主張である。

 次回以降も、三人前後の人物の「読書論」を紹介していく。
 お読み頂きありがとうござました。

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