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色名

 先日、十年以上使い続けてきたポイントカードを紛失してしまった。その中には、2000円弱に相当するポイントが溜まっていた。
 人によっては、「たかが2000円かよ」と思う人もいるだろう。私自身、これによって三日三晩泣き続ける、ということはなかった。ただ、「失くさなければ、あの本買えたのに……」と思うと、胸が苦しくなる。
 紛失の事実に気づいたあとの家路は、目に入ってくるものすべてが暗いトーンになった。横を通り過ぎていく人の表情も、絶望に打ちひしがれているようにうつり、おそらく私自身の姿もそう見えていただろう。

 帰宅後も、ショックを拭い去ることができず、部屋の壁を見つめながら、幾度も溜息をついた。
これではラチがあかない。そこで、ある秘策を思いつく。
 喪失の穴は、散財で埋める。本を買う機会を失ったのならば、今から自分で作ればいい。無理やりな理屈で理論武装した私は、いざ実行、と夜の書店に出かけた。

 目にうつる風景に、明るさを取り戻したい。夜の道を、そんなことを考えながら移動する。
 普段はあまり見ないコーナーを見よう。そう決めて、書店内を物色していると、本棚の一角が一瞬光ったように見えた。

 新井美樹『色の辞典』(雷鳥社)

 「持ち運んでね!」と語りかけてくるようなサイズ感と、可愛らしい装幀。あと、視界から明るさが失われてしまった人間に、ジャストマッチな内容。
 これだな。私は購入を即決した。

 せっかく色の本を買ったのだから、早速実践してみよう。そう思い、家の中を見回すと、先日天ぷらを作った際に余った茄子が目に入る。
 紫……なのか。本をめくっていくと、いい感じに茄子を扱うページがあった。

「濃色(こきいろ)
 濃い紫色。深紫(ふかむらさき)、濃紫(こきむらさき)とも。本来濃い色全般を表す言葉だが、日本では古来より官位服の最高位が紫だったため、「色の代表」であるとの考えから濃淡だけで紫色のことをさした。暗い灰みの濃い紅色をさすこともある。」
新井美樹『色の辞典』雷鳥社、P150)

 シンプルに勉強になる。たしかに、頭の中の紫色と茄子の色とは、その濃度において違いがある。色の解説で「官位服」の話まで出てくるとは……面白い。
 次のターゲットは、晩ご飯に食べようと買ってきていた、寿司のサーモン。冷蔵庫から取り出し、机上に置くと、またページをめくる。

「黄丹(おうに・おうたん)
 黄と丹(赤)両方の色を持つという意味の色名で、濃いオレンジ色。皇太子専用の袍(ほう)の色で、天皇の黄櫨染(こうろぜん)の袍に次ぐ禁色だった。『延喜式』では支子(くちなし)と紅花で染めるとされ、現在でも皇太子の式服として用いられている。」
新井美樹『色の辞典』雷鳥社、P29)

 今度は「皇太子の式服」の話が出てきた。
 サーモンをオレンジ色だと言ってしまうのは、なんかしっくりこない。さらに濃い。その濃淡の違いに対応するように、「黄丹」という別の色名が存在する。
 この種類の豊富さには、心が躍る。これを機に、もう少し色の本を読んでいくことに決めた。



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