車中読者
飴を口中で転がしながら本を読む。これは、私が電車で移動する際のルーティンだ。
べっこう飴、黒糖飴、あんこ飴……この三種がお気に入りである。
飴が溶け切ると、いったん本を閉じて、周囲を観察する。同じように本を読んでいる仲間がいないか、確かめるために。
なかなか仲間は見つからない。みな、スマホを見ている。ただ、そこで結論づけてはいけない。今の時代には、電子書籍がある。指先の動き、視線の流れを見てみると、断定はできないが「この人なにか読んでるな」と推測できることはある。
とはいえ、紙の本に絞れば、あまり見かけない。稀に遭遇すると、「今何読んでるんですか?」と話しかけたくなるぐらいだ。もちろん、そんな大胆さは持ち合わせていない。
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すっかり希少種になってしまった電車内の読書人だが、この存在が象徴的な意味を帯びていた時代もあった。
出版文化・大衆文化研究家の永嶺重敏は、「車中読者の誕生」という一章を設けて、「移動しながら本を読む」という経験が、極めて近代的な現象であったことを指摘する。
現代では、読書可能な「車中」というと、自家用車、バス、タクシー、電車などがイメージされるが、明治初期におけるそれは「人力車」であった。
永嶺によると、明治初年には官公吏をはじめとする知識階層を中心に、人力車中で新聞を読む姿が見られるようになる。当時、道路の整備は行き届いておらず、車輪も木製車輪に鉄輪を巻いたものであったため、乗客が受ける震動はなかなかのものだった。それでも読書する姿が見られたわけで、読書熱の高さが伺える。
人力車夫の側も、その熱気に応える形で、人力車に新聞を備え付けるというサービスを始める。また、車夫自身も新聞を読むようになり、場合によっては乗客獲得のために読んでいるふりをする者もいたようだ。
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近代期日本の熱心な車中読者が、現代の乗客の姿を見たら何を思うだろう。
まあ、昔は昔、今は今だ。懐古趣味は振り払って、私は私で車中読書を楽しむことにしよう。
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