見出し画像

記憶

 当時は「一生忘れないだろう」と思っているようなことでも、人間は簡単に忘れてしまう。
 昔あったことを振り返り、つらつらとnoteにまとめたりしていると、その現実を痛感する。だから最近は、友人とした何げないやりとりのレベルであっても、「これは面白い」と感じたならば、積極的にメモアプリに記録するようにしている。まあ、軽く日記をつけているようなものだ。

 優れたエッセイや随筆は、たとえ語られている内容が数十年前の出来事であっても、今まさに目の前で起こっていることをスケッチしたかのように、精細に満ちている。
 例えば、作家・須賀敦子の文章などは、まさにそうだ。彼女が経験したイタリアでの生活を、自伝的創作ではなく体験報告として描き切っている。
 冒頭で述べた「人間は簡単に忘れてしまう」という現実を踏まえれば、この記憶力は驚異的だ。もし須賀が存命であったならば、「記録をとる習慣はありましたか?」と質問したいくらいである。

 須賀の記憶力及び描写力を、堪能できる作品がある。題は「思い出せなかった話」。

「電車が中央市場あとの公園をすこし過ぎたあたりまで来たとき、吊り革につかまってぼんやり外を見ていた私のとなりに来た人が、おくさん、といきなり声をかけてきた。ふりむくと、褪せたような金色の髪をきちんとセットして、すばらしいキャメルのコートを着た恰幅のよい女性が、私の顔をまっすぐにみつめている。四十すぎだろうか、ちょっと目をひくコートだった。あ、このひと、いったいだれだっけ、と思いめぐらすひまもなく、彼女は、ていねいに描いた眉をひそめて、うなるようにいった。ご主人がなくなったんですって。うかがって、びっくりしましたわ。」
須賀敦子『霧のむこうに住みたい』河出文庫、P47〜48)

 話の流れはいたってシンプル。ある日、ミラノの市電に乗っていた須賀に、「おくさん」と女性が声をかけた。須賀は女性の顔を見ても、「どこかで会ったことがある」という印象さえなく、誰であるのか見当をつけれなかった。
 その後、女性と別れてからも、あの人は誰だったのだろうと考え続けた末、ある一人の女性(薬局のレジ係)へと行き着く……大体このような流れである。

「いまもって、電車のなかの女性がだれだったか、思い出せない。それでも、目をつぶりさえすれば、夫の死をしんそこ悲しんでくれたあの女性の顔は、くっきり記憶に戻るのだ。」
須賀敦子『霧のむこうに住みたい』河出文庫、P51)

 この話が興味深いのは、過去の記憶をどれほど探っても、ある一人の女性のことを思い出すことができない、つまり記憶の曖昧さを物語る作品でありながら、その筆致は精細を極めている点である。
 「思い出せなかったこと」をありありと思い出して、描く。このコントラストに、私は心を摑まれた。



※※サポートのお願い※※
 noteでは「クリエイターサポート機能」といって、100円・500円・自由金額の中から一つを選択して、投稿者を支援できるサービスがあります。「本ノ猪」をもし応援してくださる方がいれば、100円からでもご支援頂けると大変ありがたいです。
 ご協力のほど、よろしくお願いいたします。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?