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「手洗い」の歴史

 どんな物事にも前史がある。
 言い換えると、今では当たり前になっていることでも、かつては当たり前でなかった時代があったということだ。

 学部時代に歴史学を専攻していたからだろうか。物事の「始まり」が気になりだすと、居ても立っても居られなくなる性分で、書店や図書館に足を運び、該当の書籍を買ったり借りたりする。インターネットで調べれば、大抵のことは分かってしまう時代ではあるが、もとを正せば、そこにある情報の大半は、書籍や論文を参照にして書かれている。であれば、余程時間のないとき以外は書籍から学ぼう、というのが私の拘りである。

 こういう風に書くと、私があらゆる物事の始原を調べ続ける、大変知的好奇心の強い人間のように見えるが、実情はそんなに賢いものではない。書籍を一読後、「こんなこと気にしたかったこともなかった……」といった感じで、自分の盲点を突かれることがしばしば起こる。

 今回紹介する一冊も、そんな「自分の盲点を気づかせてくれる書籍」の一つであった。

「毎日してることなのに……そうだったのか……」

 本の前で呆然としながら、そっと両手を前に出して、開いて見る。
「今日は何回、洗っただろう」
 数えてみようとするが、うまく頭が回らない。外出先のお手洗いや帰宅時など、記憶が定かなものもあるが、はっきりとした数は分からない。

 「手洗い」は、小さいころからその大切さを教えこまれ、度々叱られることによって、するのが当たり前になっていく動作の一つである。
 とくに、感染症が蔓延するここ数年においては、個人単位で可能な最も基本的な予防対策として、「手洗い」は重要視されている。
 「人間であればして当然」くらいに捉えられてもおかしくない「手洗い」だが、実はこの基本動作にも前史がある。
 つまり、「手洗い」をするのが当たり前でない時代があったということである。

 そのことを教えてくれたのが、国立歴史民俗博物館と花王株式会社の共同編集からなる『〈洗う〉文化史』(吉川弘文館)という一冊である。本書は、そのタイトルが示すとおり、「洗う」という動作を手がかりに、古代から現代までの歴史を見つめ直していく。そしてそこから、時代ごとの公衆衛生や現代人の清潔志向などについても分析を深めていく。

 本書収録の論稿「日本の手洗いとその啓発の歴史」では、「手洗い」が当然視されるに至るまでの歴史的変遷が分析されており、大変興味深い。適宜引用しながら、"手洗いの歴史"を紐解いていこう。

 まず、「手洗い」の重要性を初めて唱えた人物として、一人の医師が紹介される。

「手洗いの重要性を初めて唱えたのは、十九世紀半ば、ハンガリーの医師、イグナッツ・ゼンメルワイスで、感染制御の父と呼ばれています。患者を診察する前に消毒剤で手を洗うというルールを導入することで、産褥熱の死亡率を低下させました。しかし、当時の権威主義的な医師たちにとって「医師自身の手が汚れており、患者の病気を広めている」という考え方は受け入れがたいものでした。このようなことから手洗いはすぐには普及せず、西欧で手洗いが一般市民に広がったのは、一八九〇年代と言われています。」(『〈洗う〉文化史』吉川弘文館、P121)

 最も「手を洗って清潔にすること」を徹底していそうな「医師」でさえ、手を洗っていなかった時代があったという事実はなかなか衝撃的である。

 一方、近代日本に目を向けると、江戸末期の開国にともなって、コレラやスペイン風邪など、様々な感染症の流行に襲われることになる。しかし、その中で、「手洗い」が全面的に推奨されていた形跡はなく、スペイン風邪流行時に関していえば、マスク着用と帰宅時のうがいを呼びかけるにとどまった。では、日本で「手洗い」の重要性が人口に膾炙するのは、いつ頃からなのか。

「一九二〇年代以降「大正デモクラシー」の影響により都会の新中間層を対象にさまざまな生活改善運動が展開されました。その中で洗濯用と化粧用石けんの普及が進んでいきました。昭和の初期には、家の手水場に手洗い器が設置されており、一般家庭に手洗いが普及していたと考えます。」(『〈洗う〉文化史』吉川弘文館、P122)

 ここで注目したいのが、「手洗い」する上での重要アイテム「石けん」の日本史である。
 石けんは最初、16世紀に、ポルトガルの交易船によって持ち込まれる。当時の石けんは高価で、庶民には手の届かない贅沢品だった。そんな中、堤磯右衛門という人物が、石けんの国内製造に取り組みはじめ、結果1874年には商業ベースでの開発に成功する。事業としては、堤磯右衛門一代で途絶えてしまうものの、開発の過程で技術を習得した職人たちが、「長瀬商店」(現在の花王株式会社)など、いくつかの企業に散って、石けん開発に従事することによって、その普及に寄与するに至った。

 石けんの開発・製造が一般化するにともなって、今度はそれを使用した「手洗い」の重要性が呼びかけられるようになる。企業レベルでの啓蒙活動は早くから実施されていたが、国レベルでの取り組みが始まったのは第二次世界大戦後で、学校の給食時間での呼びかけを通して、「手洗い」の習慣化を目指した。(日本で、一般向けに"手洗い"方法がマニュアル化されるのは、新型インフルエンザが猛威をふるった2009年を待たねばならない。)

 以上が、「手洗い」をめぐる日本の歴史である。「手洗い」がどのような歴史的経緯のもと、「するのが当然」なものになっていったかが確認できただろう。
 最後に、論稿中から、「手洗い」の普及史を総括する一文を引用しておきたい。

「日本がたどってきた手洗い習慣の獲得の歴史を振り返ると、インフラの整備、制度の充実や教育の実施、衛生製品と情報の提供など、行政、学校、企業がタイムリーに相互に関係しあうことで衛生の文化が培われてきました。衛生とは、生命や生活を衛ることであり、健康を保ち、病気の予防や治癒をはかることです。」(『〈洗う〉文化史』吉川弘文館、P125)


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