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和室

 SNS上で知り合い、今では直接会って話もする友人から、久々に連絡がきた。
 私が先日SNSに投稿した「お汁粉(ぜんざい)」の写真を取り上げて、「これ食べてみたいんだけど、作ってもらえないかな」という。材料費は全部出す、とのこと。特段断る理由もなかったので、いいよと承諾する。

 友人の家には、私の知り合いの中では珍しく、畳の和室があった。実はこれが承諾した一番の理由でもある。「畳の上でお汁粉食べたら、美味いかも」。一度その想像をしたばかりに、実行せずにはいられなくなった。

 友人宅に着くと、事前に伝えておいたお汁粉の材料が机の上に並んでいる。普段買わないものばかりだ、と変に感心する友人を尻目に、さっそく調理を始めた。出来上がるまでの間、友人はつらつらと最近見た映画の話をしていたが、モーガン・フリーマンを褒めちぎっていたことしか覚えていない。

 お汁粉が完成すると、畳の上で食べよう、と提案する。友人からは「あいよ」と快い返事が。
 折りたたみ式の小さな丸机を畳の上にセットして、机上に出来立てのお汁粉を運んだ。二つの椀からは、やわらかい湯気が立ち昇っている。
 どすっと畳に腰を落ち着けると、友人と顔を見合わせ「いただきます」と手を合わせた。
 私はつい最近お汁粉を食べたばかりであったが、やはり美味しい。友人も「うまっ」を連呼している。
「あまりこの部屋で飯食わないけど、お汁粉を食べるにはいいかも」
 友人の口から、この言葉を聞けたのは嬉しかった。「そう。どうしても畳の上で食いたかった」と相槌を打つ。
 「ほかに畳の上でしたいこと、ある?」。友人が汁を啜りながら、投げかけてくる。考えてみたが何も思いつかないので、「なんかある?」と問い返す。「畳の上で……死にたいね」。友人は真面目な顔でそう答えた。
 数秒の間を置いて、「それは冗談として」と立ち上がる。リビングから戻ってきた友人の手には、二人分のカップ麺が握られていた。
「うどん、畳の上で食ったら、美味いのでは?」

 満たされた腹を抱えて帰宅した夜。珈琲を飲みながらボーっとしていると、ふと友人が口にした「畳の上で……死にたいね」が頭に浮かんできた。
 我が家には畳の部屋がない。つまり、友人とは違って、私は畳の上で死ぬことができない。「今寝て死ぬなら、ベッドの上か……」。薄らとした焦慮が胸を満たした。

「「畳の上で死にたい」というのは、今日のように、病院ではなく自宅に帰ってーーといった、ぜいたくな意味ではない。山野や路傍に骸をさらさないですむよう、せめて子供たちにかこまれ、みとられながら臨終を迎えたいという、人間として最小限の願いであった。祖先たちの生活は、一面ではそれほどに力弱く、一家離散どころか、村全体が、あるいは一家一門あげて破滅の淵に沈み、一挙に散乱させられ、滅亡させられる危険にたえずさらされていた。そして、いちど生まれおちた家や村から、なにかの拍子で脱落したものは、冷酷な世間の風をまともに受けねばならなかった。」
高取正男『民俗のこころ』ちくま学芸文庫、P123〜124)

 路上で飢えて死ぬ可能性が念頭にあった時代と、病院で死ぬことと自宅で死ぬこととが対比された時代、そして、そもそも自宅に畳の部屋が無い時代。
 畳の上で死ぬためには、まずは住環境の整備からか……そんなことを珈琲を啜りながら考え込む私は、何とも呑気である。



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