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世評

 歳を経るごとに、流行の波に乗れなくなっている。現状は、世間とは一年遅れで、「この曲、なかなか良い!」と興奮している感じだ。
 その感動を知人に伝えると、「ああ、あったね、そんなの」と冷たい返事が。え? つい数ヶ月前まで、これ知ってる?って推してきてたじゃん。もうオワコンなの、この曲? ショックを受ける私を尻目に、「最近、この映画がさ」と話し出す知人……。

 何かが流行れば、裏で忘れられていくものあり。何とも残酷な世界だが、「忘れられていく」という表現が使えるほど、世間に認識されていた時期があるだけマシ、という考え方もある。

「人に批評されたり、悪口をいわれたりする間が花だ。自然世間に重きをなす事になる。私なんか、この頃悪口をいわれる事が、多少尠くなって来た事を心細く思っておる。」
(高浜虚子『立子へ抄』岩波文庫、P307)

 俳人の高浜虚子が、こんなことを書いている。皆さんはこの意見について、どう感じるだろうか。
 私はまず、この文章の執筆時期を確認した。クレジットによれば「昭和三十年二月」とある。今から70年弱も前に書かれた文章だ。そうなると当然、虚子が身を置いていたメディア環境と、現今のそれには違いが出てくる。
 私は一時期、大学図書館に篭って、朝から晩まで雑誌を捲っていた時期がある。対象の雑誌の刊行年は、明治後期〜昭和前期。大手出版社の雑誌から地方の中等学校の同人誌にいたるまで、ひたすら読み漁った。
 私が特に注目したのは「読者投稿欄」である。話題を呼んでいる書籍について、読者が熱く持論を語る。次号に別の読者の異論が掲載されたり、場合によっては著者本人が登場するなど、なかなか胸熱の展開もあった。
 なぜ私が「読者投稿欄」を追ったかというと、当時の"一般読者"の感想に触れられる、ほとんど唯一のコーナーであると考えていたからだ。もちろん、この考えには限界がある。わざわざ「読者投稿欄」に自分の意見を投稿する人物が、平均的な"一般読者"であるはずがないからだ。それでもこのコーナーが、著者が"一般読者"の感想に触れられる、大変貴重な機会であったことは否定できない。

 一方、現代はどうだろう。著者はネットでちゃちゃっと検索すれば、容易に"一般読者"の感想に触れることができる。著者がSNSをしていれば、もはや検索さえ不要かもしれない。読者が著者に直接、感想を送ることもできる。
 ここで問題なのは、その「感想」が、当然ポジティブなものに限らないということだ。「つまらん」「おもんない」という、ほとんど何も言っていないに等しい感想も、著者の目にとまる。
 この環境を考えるとき、気軽に「人に批評されたり、悪口をいわれたりする間が花だ」とは言えなくなる。著者によっては、「悪口だらけなら、何も言われない方がまし」と考える人もいるかもしれない。

「世評を気にかけないで行動する人は快い。私はそういう人を好む。
 世評を気にかけて行動する人はみじめだ。私はそういう人を好まない。」
(高浜虚子『立子へ抄』岩波文庫、P309)

 ちなみに虚子は別の箇所で、上記のようなことも語っている。虚子自身も、「世間の反応が気になる……でも、反応に左右されたくない」という複雑な心情を抱えていたのだろう。



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