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"無用な"知

「そんなこと勉強して、一体何の役に立つんですか?」

 この質問を、私は面と向かってされたことがない。だが巷には、この質問をする人/される人がいるようだ。
 万が一、この質問をされる機会があれば、私は相手の表情を凝視する。表情によっては、単純に好奇心で訊ねている人が見つかるかもしれない。まあ、「そんなこと」という言葉を使う時点で、そこに軽視や悪意があることは明らかだが。

 「そんなこと勉強して〜」と訊ねられたとき、その質問者の視野狭窄を嘲って、一笑にふすのは簡単だが、そもそも「知識」や「役に立つ(実用性)」とは何かということについて、時間をとって考えてみることは重要である。

 そこで取り上げたいのが、『無用の効用』(河出書房新社)という一冊。素敵なタイトルが示すように、本書では、実用性や効率性に左右されない、「"無用な"知」の魅力が語られている。
 今回は、本書中の記述を参考にして、「知識」の本質とは何かについて考えていきたい。

 世間で、ある知識が「役に立つ」とされるとき、その知識は利益を生み出すものとして理解されている。つまり、財産=所有物を増やす知識だと受け止められる。
 財産=所有物の増加を目的に生きる人間は、「手放す」ことを嫌い、占有することを欲する。それは、財産だけでなく、その財産を得るための知識も。知識=方法が広く共有されてしまえば、自分の獲得できる利益が少なくなってしまうからだ。

 ここでの「知識」は、本来の「知識」とかけ離れているのではないかーー。
 上記の疑問から、『無用の効用』の著者は、「知識」の本質を次のように述べるにいたる。

「何年か前、かつてオアシスがあった場所に立つサハラ砂漠の文書館を訪ねたとき、建物に掲げられたパネルに、シンプルだがじつに示唆に富む言葉が刻まれているのを見つけた。「知識とは、それを誰かに手渡しても、自分が貧しくなることのない財産である」。利潤という支配的な論理を骨抜きにできるのは、知識だけである。知識を分け合っても、誰も貧しくなることはない。それどころか、知識を与える者と受けとる者は、ともに豊かになるのである。」
ヌッチョ・オルディネ著、栗原俊秀訳『無用の効用』河出書房新社、P197)

 知識の本質は、どれだけ多くの人と分け合っても、自分自身が貧しくならないところにある。知識を分けた人も、分けられた人も、ともに豊かになるという性質は、できるだけ占有物を増やそうとする考え方とは真っ向から対立するものだ。
 知識に実用性ばかりを求める態度は、本来知識が持っている「共有性」という利点を捨てさることにつながる。
 所有欲・占有欲には、際限がない。他者との比較から、嫉妬心も生まれる。その状況を解消できるという点で、最も実用的な知識が「"無用な"知」であることは、肝に銘じておきたい。




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