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先日、知り合いに「今年読んで、つまらなかった本教えて」と訊かれて、回答に窮する場面があった。これは何も、著者や編集者への遠慮からそうなったのではなく、シンプルにつまらない本が思い浮かばなかった。
ふわっとした実感では、年々、つまらない本にぶち当たる率が低くなっている気がする。書店で手に取ってみたときの感触や、信頼している知人の評価を頼りに、読む本を決めていくと、自然と私の前につまらない本が現れなくなった。
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感触と評判。この二点だけでは、まだ理由が言い切れていない。そのことに気づいたのは、ある本の一節を読んでからだ。
本を読み終わったあと、友人に「この本、なかなか面白かったよ」と勧める。また、同じ本を読んでいる者同士で、読後感を共有する。
この習慣は、私の読書体験を充実したものにするだけでなく、読んだ本そのものの価値を高めた。本来は「つまらなかった」と一蹴したかもしれない本が、「それなりに見所があった」との評価を得るに至る。
極端なことをいえば、私も周囲も揃って「つまらない」と評した本についても、どこがどうつまらなかったのかを議論することによって、まるでマイナスとマイナスをかけ合わせたときのように、評価がプラスに転じる場合もあるかもしれない。
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読み終わったあとの時間がいかに大切であるかを考えてみると、自分がなぜ子どもの頃、本を読むのが好きではなかったか、その原因に思い至る。
松居直が述べるように、私も小さい頃は、親が買ってくれた本を無慈悲に放置するということが何度もあった。
本自体がつまらなかったのだろうか。確かにそれもあるだろう。ただもっと切実に欲していたのは、つまらなかったら遠慮なく「この本いまいちだった」と話せる、会話の場だったのかもしれない。
あの頃の私は、読書というものを、「本を読んで、それでお終い」だと思っていた。
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