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人間関係

 先日、フォロワーさんからメッセージが届いた。それは、note の記事に関する質問である。

「文中でよく“友人・知人”と分かち書きがされてますが、なにか分ける基準があったりしますか?」

 この質問。なかなか痛い所を突いてくるな、と思った。フォロワーさんはおそらく軽い感じで質問してくださったのだと思うが、なかなか鋭い。
 答えると、基準がうまく言語化できていないからこそ、とりあえず分けている、これが実情である。
 実際は私が一方的に友人だと思っているだけというケースもあれば、その逆もありうる。「オレらって友達だよな?」と確かめあう光景は、友人の選択次第で生き死にが決定するデスゲームぐらいでしか見たことがない。つまりフィクションの世界の話だ。

 いい機会なので、結論は出せなくても、友人・知人の基準について考えてみたいと思った。そこで色々な分析にあたってみたところ、一冊面白い書籍を発見する。

「私が考えていることをあえて極端に言うと、「友情なんてない! 恋愛なんてない! そんな目に見えないものに騙されるな!」ということになります。そうではなくて、身近な関係を丸ごと、一網打尽にできるような整理の仕方を考えたいのです。距離(量)でも種類(質)でもなく関係の基盤、それぞれの関係がどのように成り立っているかという関係の基礎、そうしたものを考えたいのです。」
平尾昌宏『人間関係ってどういう関係?』ちくまプリマー新書、P79)

 あの人は友人って呼んでいいのだろうか?……とつい考えてしまう私は、著者の言葉を使えば「騙され」ていると言える。
 引用文中の「関係の基盤(基礎)」とは何だろうか。折角なので、簡単に中身を紹介してみたい。
 平尾は人間関係を、四つの要素に注目して考えている。それは「相補性と共同性」「タテとヨコ」の二ペア。これを縦軸(上下)と横軸(左右)にあてることにより、関係性を四パターンに分類してみせる。

「同じで結びつく共同性と違うで結びつく相補性。これだと抽象的なので、ちょっと具体的に考えてみると、共同性の方は、いわゆる友達や仲間、グループみたいなもの、相補性の方は、恋愛や夫婦、親友なんかが典型的な例だと考えられます。」
平尾昌宏『人間関係ってどういう関係?』ちくまプリマー新書、P113)

 この分類を用いて、私の「友人・知人」を考えてみる。基本的に両者とも、関係性は対等であるから、横軸では「ヨコ」の側に位置する。次に縦軸では、「知人」は所属先が同じである場合が多く、読書会や勉強会といった特定の場で顔を合わせるのが主だ。一方「友人」は、必ずしも所属先が同じであるわけではなく、話すだけでも刺激が貰えるという実感がある。そうであれば、前者は「共同性」、後者は「相補性」の側に分類できると言える。
 まとめると、私の考える「知人」は「ヨコの共同性」、「友人」は「ヨコの相補性」、ということになるだろうか。

 こう見ていくと、私がある人を「友人」と呼ぶとき、そこでは一般的に「親友」と呼ばれる関係性を求めているのかもしれない。



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