不釣り合い
私が心の中で「ベルクソン先生」と呼んでいた、大学の情報学の講師がいる。名前の由来は、シンプルに見た目が似ていたから。教壇に立つ姿を見ながら、「ベルクソンの講義を受けたら、こんな感じかな」と思ったりした。
ベルクソン先生とは、講義終了後、質問を含めて少し雑談をすることはあったものの、それ以上の交流はなかった。が、ある日、「このあと、時間はありますか?」と問われ、二人で某中華料理店で夕飯を食べることになった。
特に深い交流は無いのに、どうして誘われたのだろう。少しだけ引っかかってはいたものの、質問してみたいこともあったため、話は弾む。
「講義終わりに提出してもらうコメントあるでしょう。あれに、〇〇さんだけ、”次回の講義もよろしくお願いします“と書いてくれていて。それで、お礼がしたくなってね」
「……えっ、それだけでですか?」
つい、感じたままの反応が、口をついて出てしまった。こんな平凡なコメント一つで、中華料理をご馳走してもらえるなら、安いものである。釣り合ってないなーと思いつつ、餃子に箸を伸ばし、口に放り込んだ。
*
先日、上記の新川和江の詩を読んでいたら、冒頭のエピソードを思い出した。
”次回の講義もよろしくお願いします“はありふれた言葉である。ベルクソン先生の講義に対してどんな評価をしているか、それさえ伝わらない。おそらく彼は、この言葉から一学生の積極性・能動性を汲み取って、好感を持ってくださったのだろう。それが中華料理という形をとって現れた。
その後もベルクソン先生とは、全講義が終了するまでの間に、三、四回、ご飯を食べながら話をする機会があった。今でも、好意を持てる学生に出会えたら、中華料理をご馳走したりしているのだろうか。
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