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字毒

 作家の開高健は、幾つかのエッセイ集の中で、家にいようと旅先にいようと、枕元に本がないと落ち着かない、と書いている。150日間をサイゴンで過ごした際には、小倉百人一首を持参して、深夜に一枚一枚繰って読んだという。
 私はこのエピソードが好きすぎて、時折思い出しては、一人でニヤニヤしてしまう。

 京都に住んでいると、旅行で当地を訪れている友人から、「ついでだから会って話そう」と連絡が来る。「ついで」であろうと、こういう誘いに悪い気はしない。貴重な休暇の一部を、私のために割いてくれているわけだから。
 彼らに共通しているのは、荷物になってしまうのは重々承知した上で、自宅から本を持ってきていること。私が話し相手だからなのかもしれないが、必ず「旅行中はこれ読んでる」と本の話をしてくれる。
 旅先で最初に購入したのは本だった、と笑いながら話してくれる友人もいる。移動中、たまたま見かけた古書店で、運命の出会い……。数百頁の大著を私に示しながら、「旅の邪魔」と苦笑いする友人。でも、幸せそうである。

 上記のエピソード、「本」であるから微笑ましく聞いていられるが、これが例えば「酒」であったりすると、アルコール中毒を疑われ、心配されたりもする。
 ここから、「本」はどれだけ読んでも、それだけで身心に問題が生じることはない、そう思われていることが分かる。

「書物の好きかたのなかにはどうしても病気ではないかと思いたくなるような兆候もまざまざと見うけられるのである。ある書物を読んだがために認識や感性が変って人生が一変するという例は昔からしじゅうあるのだから、"覚悟"も必要なわけである。いつかの回に私自身の造語だけれど"字毒"といって文字には多量の毒が含まれることもあるということを書いたと思うのだが……」
開高健『白いページ』光文社文庫、P269)

 どこに行くにも本(活字)を持参しなければ気が済まなかった作家が、あえて口にする読書の「毒」の部分。
 本を読むことで、ダイレクトに特定の臓器がやられる、といったことはないにしても、一冊の本が、読者の将来設計を変更させ、場合によっては「破滅」に導く可能性もある。
 "字毒"。この言葉を頭に留めながらする読書は、大変スリリングである。お勧めしたい。




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