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ライバル

 最近、表紙の黒猫のイラストに惹かれて、レイ・ブラッドベリの『猫のパジャマ』を手に入れた。
 その中に、「おれの敵はみんなくたばった」というユニークなタイトルの短篇が収録されている。
 本作は、ある新聞に載った死亡記事から始まる。そこには、ティモシー・サリヴァンという人物が、癌により77歳で亡くなったことが書かれている。
 その記事を目にした、ウォルター・グリップという男は、「ああ、なんてこった!」「こんなことってあるか、これでおしまいだ」と叫ぶ。その様子を近くで見ていた友人は、「なにがおしまいなんだ?」と質問する。その問いにウォルターは、「生きていてもしかたない」「おれの敵はみんなくたばった」と答えた。

 「???」。頭の中に幾つもの「?」が浮かび、本を読む手がとまる。「敵が死んだのに、生きていてもしかたない? どういうこと?」、謎である。本編に登場する友人も、最初同じような反応を示した。

「あいつのおかげで燃えつづけてきた。あいつがいるから、おれはやってこれた。夜眠りにつくときには憎しみで心がうきうきした。朝目をさませば、欲求のおかげで楽しく朝飯にかぶりつけた。昼飯と晩飯のあいだに、あいつを繰り返し殺したいって欲求だ。でも、いま、あいつがそれをだめにした。炎を吹き消しちまったんだ」
レイ・ブラッドベリ著、中村融訳『猫のパジャマ』河出文庫、P297)

 そういうことか……。ウォルターの台詞を読みながら、一人納得する。挑発と憎悪で、生きる活力を与えてくる人物。この人間関係、あまり健全には思われない。

 上記の作品を読んでいて、私はふと、あるゲームシリーズのことを思い浮かべた。
 ポケットモンスター、縮めて、ポケモン。子どもの頃から親しんでいるこのゲームシリーズには、物語の主人公とセットで「ライバル」と呼ばれる存在が登場する。
 ライバルはストーリーの節目節目で、主人公に勝負をしかけてくる。その戦いを通して、お互いの成長具合を確かめ合い、さらなる進化を求めて、切磋琢磨していくことを約束する。
 子どもの頃はなんとも思っていなかったが、大人になって、いかに「ライバル」と呼べる友を持つことが稀少なことなのかを痛感した。
 大概の友人関係は、安定的につながりを維持するために、できるだけ競い合う、比較し合うということはせず、「まあ、各々、がんばっていこう」と互いにエールを送るぐらいにとどめる。年をとればとるほど、活躍するフィールドも異なってくるから、その傾向はますます強くなる。

 冒頭で紹介した作品の歪な関係に比べれば、ライバル関係はいたってマイルドで、健全である。私には「ライバル」と呼べるような友人がいないので、この刺激的な関係性には少しだけ憧れてしまう。



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