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待望

 私の周りでよく「待望」されているものがある。「本の復刊」だ。
 「入手困難だった〇〇が復刊するらしい!」という情報が広がると、「中古もプレミア価格になってたから、助かる!」と歓声があがる。私も一緒になって、やったー!と喜びたいのだが、実は心中は複雑だったりする。

 ただでさえ、日々世に出てくる「新刊」をチェックするだけで精一杯なのに、そこに「復刊」本が加われば、許容量をオーバーしてしまう。まして「復刊」本は、熱烈に「待望」する読者がいるわけだから、内容の質が担保されている。質が未知数の「新刊」より、安心して手に取れるわけだ。

 そこで私は、一つの制限を設定した。すなわち、実際に「待望」している人に出会わない限りは、「復刊」本を手に取らない、というもの。本の帯で「待望の復刊」と謳われているだけでは、×だ。
 これはなかなかの制限で、下手をすると当分「復刊」本を読むことはなくなるかな、と思っていた。……見立てが甘い。私の周りの本好きは、その制限を楽々と破壊してしまった。
 その記念すべき第一号が、『作家の仕事部屋』(中公文庫)である。

「アイディアが浮んだ時には、本能的に毎日ほぼ同じ時刻に仕事します。もしパリにいなければならないのなら、夜。田舎なら、午後。田舎の楽しみは、朝起るとすぐ外を歩いたり草や空模様を眺めたりできることです。午後の四時頃、他の人たちに「仕事にかからなきゃ」と言います。嘆いたり呻いたり、ようするに自分でちょっとお芝居をするわけ。でもおかしいことに、いったんタイプライターに向うと夕食の時間さえ忘れてしまうんです。」
ジャン=ルイ・ド・ランビュール編、岩崎力訳『作家の仕事部屋』中公文庫、P269〜270)

 引用したのは、作家フランソワーズ・サガンの言葉。本書には、サガンの他、計25名の作家のインタビューが掲載されている。

 かつて、サガンの作品にハマっていた知人に、「サガンの地の文に触れたい」と質問されたことがあった。ここでいう「地の文」とは、小説ではなく随筆やエッセイのことで、サガンの見方・考え方に直接触れられる文章を指す。
 残念ながら当時の私は、この質問に応えることができなかった。「小説以外は入手困難」と結論づけたと思う。
 書店にて、『作家の仕事部屋』にサガンのインタビューが掲載されていることを知ったとき、私はすぐに知人にメッセージを送った。久々の「サガン」連絡に、知人は困惑しただろうが、「わざわざありがとう、今度読んでみる」との返信はあった。

 ここまで書いてきて気づいたのは、

「実際に「待望」している人に出会わない限りは、「復刊」本を手に取らない」

という制限を壊したのは、実質私自身だった、ということである。
 知人にわざわざ連絡してまで、「復刊」本を手に取ろうとしたのだ。
 何とも欲深い人間である。



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