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【現地ルポ】千四百年御聖忌記念特別展「聖徳太子 日出づる処の天子」サントリー美術館(2021年11月17日~2022年1月10日)

仏像イラストレーターの田中ひろみさんが、東京ミッドタウン内のサントリー美術館で行われている千四百年御聖忌記念特別展「聖徳太子 日出づる処の天子」[会期:2021年11月17日(水)~2022年1月10日(月・祝)]の見どころをご紹介します。この貴重な機会をどうぞお見逃しなく!

文=田中ひろみ

令和3年(2021年)は、聖徳太子が亡くなられて1400年の遠忌(四天王寺では「聖忌」という)にあたります。そして、サントリー美術館にとっては開館60周年の記念の年でもあります。

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この特別展では全139点の宝物(うち国宝9件、重要文化財33件)が、以下の4章にわけて展示されています(会期中展示替えあり)

第1章:聖徳太子の生涯 ― 太子の面影を追って
第2章:聖徳太子信仰の広がり ― 宗派を超えて崇敬される太子
第3章:大阪・四天王寺の1400年 ― 太子が建立した大寺のあゆみ
第4章:近代以降の聖徳太子のイメージ…そして未来へ ― つながる祈り

それでは、さっそく見ていきましょう。
会場に入るとすぐに、さまざまな年齢の聖徳太子像が4体並べられています。

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左から順に、
「聖徳太子二歳像(南無仏太子像)」南北朝時代・14世紀、大阪・四天王寺
「聖徳太子童形半跏像」南北朝時代・14世紀、大阪・四天王寺
重要文化財「聖徳太子摂政坐像」鎌倉時代・建治3年(1277)、奈良・達磨寺
重要文化財「聖徳太子勝鬘経講讃坐像」桃山時代・17世紀 兵庫・中山寺

いちばん左は、坊主頭で上半身裸、赤い袴をはいて合掌している「聖徳太子二歳像」。聖徳太子が二歳の春に東方を向いて合掌し、「南無仏なむぶつ」と称えると手のひらから仏舎利(仏陀の遺骨)が現れたとする説話の姿を表した像で「南無仏太子像」とも呼ばれます。

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左から二番目の「孝養像」は、聖徳太子が16歳の時、お父さんの用明天皇がご病気になられた際、持ち運びできるように柄をつけた香炉を持ち、お見舞いに向かう姿を表しています。髪を左右に分け、両耳の辺りで先を輪にして緒で結んだ角髪みずらと呼ばれる少年のヘアースタイルをしています。立っている像が多いので、座っているお像は珍しいです。

三番目は、両手でしゃくを持つ「摂政像」。四番目は聖徳太子の叔母の推古天皇に「勝鬘経しょうまんぎょう」を講ずるお姿の「聖徳太子勝鬘経講讃坐像」。華やかな冠をかぶり、団扇うちわ状の持物を持っています。

この展覧会の聖徳太子像で一番印象深かったのは、寺外初公開の秘仏「聖徳太子童形立像(植髪太子)」(兵庫・鶴林寺)。毎年3月下旬に鶴林寺で行われる太子会式たいしえしきの3日間しかご開帳されないお像です。ガラス越しでも、間近で拝観できるのはありがたいことです。(※撮影禁止のため、写真はありません。本作品の展示期間は12/13まで)

ザンバラ髪で上半身は下着姿、頭の上から白い布の衣をかぶっています。なぜそんなことになっているのか、以前、鶴林寺のご住職にお聞きしたところ、「あの毛は本物の人毛で、かつては角髪に結ったりまたほどいたりと甲斐甲斐しくお世話していたようです。しかし、髪の抜けが多くなり、“触らぬ髪に抜け毛なし”ということで今の状態になったようです」と教えてくださいました。

他に気になったお像は、「聖徳太子童形立像(孝養像)」(東京・坂東報恩寺)。角髪が普通のおさげではなく、螺髪のように渦巻き状になっているのが珍しいです。また、東京展のみ出展の「聖徳太子童形立像(孝養像)」(茨城・善重寺)は、衣の文様がとても美しいお像です。

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左:重要文化財「聖徳太子童形立像(孝養像)」鎌倉時代・14世紀、茨城・善重寺 
右:「聖徳太子童形立像(孝養像)」鎌倉時代・14世紀、東京・坂東報恩寺

上半身裸の「聖徳太子童形立像」(奈良・長福寺)は、体が白いので元は布の衣を着せられていたようです。鎌倉時代はリアルさを追求し、裸形像を造って布の衣を着せ替え、生きている人と接するように仏像を拝む信仰が各地で見られました。

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左から、
「聖徳太子童形立像」鎌倉時代・13~14世紀、奈良・長福寺
重要文化財「聖徳太子二歳像(南無仏太子像)」鎌倉時代・13~14世紀、兵庫・善福寺
「聖徳太子二歳像(南無仏太子像)」鎌倉時代・13~14世紀、京都・白毫寺

「阿弥陀三尊立像(閻浮檀金弥陀)」(大阪・四天王寺)は小さなお像ですが、光背の透し彫りが美しく、しかも13ある円の中にそれぞれ小さな仏様の絵が描かれています。なんと凝った細工でしょう。うっとりとしてしまいます。

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「阿弥陀三尊立像(閻浮檀金弥陀)」
阿弥陀:室町時代・15世紀
観音・勢至:鎌倉時代・13世紀、大阪・四天王寺
「銀鍍金光背」 鎌倉時代・13世紀、大阪・四天王寺

他にも、聖徳太子の持物であり、道教思想では破邪の力を宿すと言われる北斗七星が彫られた「七星剣しちせいけん」(大阪・四天王寺)や、隷書体で丙子椒林へいししょうりんの四文字が刻まれた「丙子椒林剣」(大阪・四天王寺)も、見応えがあります。

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左:「丙子椒林剣」月山貞一(二代)作、昭和54年(1979)、大阪・四天王寺
右:国宝「七星剣」飛鳥時代・7世紀、大阪・四天王寺

圧巻なのはずらっと並ぶ各寺の四天王像。『日本書紀』によれば、物部守屋と蘇我馬子の合戦の折、崇仏派の蘇我氏についた太子は、自ら四天王像を彫って勝利を祈りました。それゆえ、四天王像は太子信仰の中でも大きな意味を持つ仏像と考えられています。左側の直立する四天王像は、蘇我氏と物部氏が戦ったとされる地に建つ大聖勝軍寺たいせいしょうぐんじのお像。宮城・天王寺の「如意輪観音半跏像」と「四天王像」は、大阪・四天王寺のお像を模したとされています。

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左:「四天王立像」平安~鎌倉時代・12世紀、大阪・大聖勝軍寺
右:「如意輪観音半跏像」平安~桃山時代・12~16世紀、宮城・天王寺
「四天王立像」平安~桃山時代・12~16世紀、宮城・天王寺 

高句麗から渡来し、聖徳太子の仏教の師となった慧慈和尚えじかしょうの坐像も展示。その木目にもご注目ください。

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「慧慈和尚坐像」平安時代・10世紀、山口・般若寺

山岸凉子先生の聖徳太子を描いた漫画「日出処の天子」の原画も展示されています。

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山岸凉子先生作「日出処の天子」原画

展示の最後は、令和3年(2021)作の松久宗琳佛所まつひさそうりんぶっしょ作「聖徳太子童形半跏像」(大阪・四天王寺)で締めくくられています。松久宗琳佛所は京都にある仏像制作工房で、今後は四天王寺の「聖霊会しょうりょうえ」(4/22)でのみご開帳される秘仏になる予定なので、お見逃しなく。

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松久宗琳佛所作「聖徳太子童形半跏像」令和3年(2021)、大阪・四天王寺

聖徳太子の生涯については、私の著書仏像イラストレーターがつくった仏像ハンドブック(ウェッジ)に掲載しています。是非こちらもご覧ください。

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また、聖徳太子についてもっと詳しく知りたい方は、こちらの本もおすすめです。

サントリー美術館 開館60周年記念展/千四百年御聖忌記念特別展
「聖徳太子 日出づる処の天子」
会期
:2021年11月17日(水)~2022年1月10日(月・祝)
※作品保護のため、会期中展示替を行います。
会場
:サントリー美術館(東京都港区赤坂9-7-4 東京ミッドタウン ガレリア3階)
開館時間:10:00~18:00(金・土は10:00~20:00)
※入館は閉館の30分前まで
※1月9日(日)は20時まで開館
休館日:火曜日
※1月4日は18時まで開館
※12月28日(火)~1月1日(土・祝)は年末年始のため休館
入館料
【一般】当日 ¥1,500
【大学・高校生】当日 ¥1,000
※中学生以下無料
※障害者手帳をお持ちの方は、ご本人と介護の方1名様のみ無料
▼詳細はこちらをご覧ください
https://www.suntory.co.jp/sma/exhibition/2021_4/
田中ひろみ
イラストレーター&文筆家。大阪府堺市出身。幼い頃から絵の仕事がしたいと願うが、両親の希望に添いナースになる。お金をためてから退職し、「セツモードセミナー」で絵を学ぶ。仏像本をたくさん出し、講演や仏像ツアーも行なう。女子の仏教レジャーサークル「丸の内はんにゃ会」代表や、奈良市観光大使も務める。

▼田中ひろみさんのご著書(ウェッジ刊)


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