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神楽坂で“プチ・フランス”気分(東京都新宿区)|ホンタビ! 文=川内有緒
作家の川内有緒さんが、本に動かされて旅へ出る連載「ホンタビ!」。登場人物を思うのか、著者について考えるのか、それとも誰かに会ったり、何か食べたり、遊んだり? さて、今月はどこに行こう。本を旅する、本で旅する。
30代の頃、6年ほどパリで暮らした。たまたま転職した仕事の勤務地がパリで、フランス語もフランス料理も知らないままの渡仏だった。おかげで最初の年は、日常生活を送るだけでも苦労と失敗の連続だった。
あるとき、母が『巴里の空の下オムレツのにおいは流れる』という本を送ってくれた。著者の石井好子さんはシャンソン歌手で、1952年に30歳で渡仏。8年をパリで過ごした。暮らしのなかで出会った様々な料理や食文化について書いた本書は、当時ベストセラーに。
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[今月の本]
石井好子著
『巴里の空の下オムレツのにおいは流れる』 (河出文庫)
日本のシャンソン界を牽引してきた石井好子氏[1922-2010]が、1950年代に留学したパリでの暮らしや数々のおいしい料理の思い出を、軽やかに歌うように綴ったエッセイ集。「暮らしの手帖」に連載後、1963年に単行本として世に送り出され、以来半世紀にわたって愛読されている。読んでいると情景が浮かび、料理の香りまでが漂ってくるようで、無性にフレンチが食べたくなる!
フランス人が三人集まったら、まずその会話は、食べ物の話とみてさしつかえない。それは女だけかと言うと、男だって同様だ。
芸能人たちの楽屋でさえ、楽屋入りをしたら、挨拶の次には夕食に何をたべたかという話になる。
私も自然にフランス料理が好きになった。よく友人たちとカフェ、ビストロ、時には奮発して高級レストランを食べ歩き、いつの間にかパリは第二の故郷のような場所になった。だから、パリを離れて久しい今も、ふと焼きたてのバゲットやブルーチーズ、ガレット、プレ・ロティなどが食べたくなる。そんなとき向かうのは、東京の「小さなパリ」である。
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神楽坂が「小さなパリ」になった背景には、現在のアンスティチュ・フランセ東京(旧東京日仏学院)の存在がある。開校は1952年(石井さんが渡仏したのと同じ年!)、長年フランスと日本の文化の架け橋の役割を担ってきた。そこで働く先生のひとりが来日して20年のセバステャン・ジャフレドさん。「ボンジュール」と彼が登場したとき、目の前の街並みが一瞬でパリに変わった。
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セバステャンさんと路地裏を散歩する。途中で、クロワッサンとパン・オ・ショコラをつまみ食い。
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ひとりが通り抜けるのがやっとの路地には石畳が敷かれ、坂道を歩いているとパリのモンマルトルが彷彿としてくる。よくモンマルトルの劇場で歌を披露していた石井好子さんは、賑やかなモンマルトルをこんなふうに描いている。
簡単な食事をしたいときは、キャフェの窓ぎわで、着飾ってナイトクラブから出てくる人々や、街の兄ちゃんたち、花売り、娼婦たちのゆきかうのを眺めながら、冬は湯気が立って、チーズをたっぷりかけるオニオンスープをたべたり、夏はサラダや冷肉を小瓶のブドー酒と一緒にたべて帰ったものだ。
在京フランス人が集まる店
散歩のあとは、リヨン料理の名店、ルグドゥノム・ブション・リヨネでランチタイムである。
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店内にはどっしりとした錫製カウンターがあり、壁にはリヨンの伝統的な人形劇(ギニョール)のアンティークの絵が飾られている。店名の「ブション」とは、リヨン・スタイルの伝統的でぬくもりのあるレストランのことで、この内装のひとつひとつが典型的な「ブション・リヨネ」をエレガントに再現している。わあ、素晴らしい……! と舞い上がり、期待感が高まる。ちなみにミシュランの星がきらめく「ブション・リヨネ」は世界でここだけである。
リヨンには一度だけ行ったことがある。友人とふたりでクルマに乗りこみ、目的地も決めずに出発し、偶然たどりついたのが南東部の都市リヨンだった。カラリと晴れた秋の午後、食堂のテラスに席を見つけ、エスカルゴとチーズをたらふく食べた。あれが「ブション・リヨネ」だったのかは定かではない。とにかく、あの頃の私は独り身で、思い立った時にさっと旅に出て、フランス中の田舎を訪ねた。
セバステャンさんに一番好きなフランス料理はなんですかと聞いた。テーブルにはパリッとしたリネンのクロスがかかっていて気持ちがいい。
「やっぱり肉かなー、特にソーシソンとかリエットは好きですね。自分の家で作ることもありますよ」
シャルキュトリーの盛り合わせが運ばれてくると、リヨン風ソーシソン、パテ・ドゥ・カンパーニュなどだった。「おいしいね!」と言いながら、ふたりであっと言う間に平らげてしまう。
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半熟卵や自家製ベーコンが載ったボリューム満点のリヨン風サラダをわけあったあとは、メイン・ディッシュのクネルの登場である。クネルは、リヨンの郷土料理だ。
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海から遠いリヨンでは、魚といえば川魚で、このお店のクネルにはカワカマスが使われている。ふわっと柔らかいすり身を使ったクネルが、オマール海老のうま味が凝縮されたクリーミーなソースに浸っている。ほんのりと焼き目がついた滋味深いソースは、あっさりしたクネルとも、お皿の下の方に隠れたライスともよく絡み合う。
本の中で石井さんは、クネルを「西洋のハンペン」と呼んでいて、確かによく似ていた。
グラタン皿にケネルをおき、クリームソースをたっぷり、ケネルがかくれるほどかけて、粉チーズをふってから天火で焼く。(中略)舌がやけるほど熱くて、やわらかくて、おいしかった。
シェフのクリストフ・ポコさんが螺旋階段の上から降りてきた。ビシッとしたコックスーツに身を包む堂々とした姿がいかにもシェフの貫禄である。
15歳で料理の道に入ったポコさんは、高級レストランやホテルで修業し、料理長まで務めたあと、25歳(1988年)で来日。ほどなくして自分の店を持つと決意した。そのとき「日本初となるリヨン人による ”ブション・リヨネ” にこだわりました。ただし、料理の量は、本場のブションよりも少な目にしてますけどね」と笑顔で言った。
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最後は、フランスの伝統的なデザートの自家製ピンクプラリヌのイルフロッタントだ。フランス語で「浮島」を意味する通り、クリームの上にメレンゲが島のように浮かぶ。
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「一番好きなデザートです! 小さい頃、特別な日に母が作ってくれました」とセバステャンさんは懐かしそうに目を細めた。
彼の家族の思い出、ポコさんの故郷の味、そして私の異国暮らしの記憶がお皿の上で重なりあった。コーヒーを飲む頃には、神楽坂に夕暮れが訪れようとしていた。
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文=川内有緒 写真=荒井孝治
川内有緒(かわうち ありお)
ノンフィクション作家。米国企業、パリの国連機関などに勤務後、フリーの作家に。『バウルを探して』(幻冬舎)、『目の見えない白鳥さんとアートを見に行く』(集英社インターナショナル)など著書多数。
出典:ひととき2022年11月号
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