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ホンタビ!

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作家の川内有緒さんが、本に動かされて旅へ出る――。登場人物を思うのか、著者について考えるのか、それとも誰かに会ったり、何か食べたり、遊んだり? さて、今月はどこに行こう。
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記事一覧

[最終回]宿命を反転させる旅 (岐阜県養老郡養老町)|ホンタビ!文=川内有緒

 人間にとって「死」は宿命である。死なない生き物はいない。それが現代の常識ですよね? いや、そうとも限らないと言われたら驚かないですか? 実は「死」という生命の宿命を覆すための壮大な実験場が岐阜県にある。その名も養老天命反転地。作者はアーティストの荒川修作+マドリン・ギンズ(以下荒川+ギンズ)。よおし、いっちょう私も宿命を反転させようではないか、と養老の地にやってきた。  短く言ってしまえば、ここは「死なないこと」を目指す体験型アート。養老山地を背景にした広大な敷地には、ま

今宵の一杯はバーの街・松本で(長野県松本市)|ホンタビ! 文=川内有緒

 かつて娘を妊娠していたとき、「出産する前にしておきたいことリスト」を作成した。「遠方の友人を訪ねる」や「星空を見にいく」などの長いリストの筆頭にあったのは、「バーに行く」だった。妊娠中にバーというのも妙なのだが、いかんせん私は、バーに行けなくなる未来が寂しくて仕方がなかった。冷えたフルーツカクテル、緊張感とくつろぎがブレンドされた空気、隣のカップルの秘密の会話、瞼を閉じてシェーカーを振るバーテンダー……、その全てが好きだった。  バーの扉は外の世界との結界である、と説くの

旅はコーヒーとともに(岩手県盛岡市)|ホンタビ! 文=川内有緒

 喫茶店には魔力がある。ひとつは淹れたてのコーヒーという魔力、もうひとつはコーヒーを淹れるひとが放つ魔力だ。とりつかれた人たちは、喫茶店をめぐらずにいられなくなるとか。  そんなことを普段から思うわりに、数年前、喫茶店がひとつもない街に住んでしまった。チェーンのコーヒー店はいくらでもあるのだけど、魔力のある店はひとつも存在しなかった。その街は電子音だけで構成された音楽みたいで、長く暮らすことは難しかった。あれから時が経ち、今は喫茶店が多い街に住んでいる。 ◇ ◇ ◇  

風とともに旅する浜松 (静岡県浜松市)|ホンタビ! 文=川内有緒

 30年も前のことだが、風に意思があるのかを研究しているという風変わりな男性に出会った。大学院で哲学を専攻していて、穏やかな佇まい。英語教師でもある彼は、「クラウド・ナイン」という英語表現を教えてくれた。直訳すれば「9番目の雲」で、圧倒的に幸せな時の感情表現である。  それから25年後、偶然入った本屋さんで『窓から見える世界の風』という一冊を見つけた。著者は福島あずささん。モンスーンなど気象現象の研究者である。  皆さんは「風」にどのようなイメージを持ちますか? 空の雲は

海賊が駆け抜けた島々へ (愛媛県今治市・広島県尾道市)|ホンタビ! 文=川内有緒

 本州の尾道から四国の今治までの70キロをつなぐしまなみ海道。島から島へとジャンプするような爽快なドライブで、私の頭の中には、松任谷由実の『ルージュの伝言』が流れていた。ズンチャチャズンチャ……とふと車窓を見ると、見慣れない形状の島がある。小島全体が、こんもりと盛り上がり、まるで古墳のようだ。  もしかして、 あれが「海城」⁉  はるか中世の時代、この芸予諸島には30以上の〝海城〟が点在していたと伝わる。築いたのは、かつてこの海を支配した海賊たちである。  というわけで

リーチも魅せられた陶郷へ (大分県日田市)|ホンタビ! 文=川内有緒

 曲がりくねった渓流に寄り添うように古い民家が立ち並んでいる。家々の間には、立派な登り窯が幾つも横たわり、煙突からは煙が細くたなびく。あちこちから鳴り響くズドン、ズドンという大きな音。  東京から来た私は、あまりの異世界ぶりに、いったいどこに来ちゃったんだろう……と周囲を見回した。  ここは、焼き物の里として知られる大分県日田市の小鹿田。聞こえてくるのは、川の水の力だけで動かす「唐臼」で、土を搗く音である。小鹿田では、なんと江戸時代と同じように機械や動力を使わない手作業に

若い旅と円熟の旅 小林武彦(生物学者)

 静岡県の三島市に16年住んでいる。  勤めが東京に変わってからの7年間はここから新幹線で通勤している。そう言うと大体の反応は「えっ?」と驚く。「遠くて大変でしょう。お金もかかるし、なんで?」  私の返答は「現実」と「夢」の2パターンを用意している。「現実」パターンの返答は「東京がいやになって、また帰ってくるかもしれないので、引っ越す勇気がないのです」と伏し目がちに言う。三島の研究所に勤めていた時よりも東京では「研究・教育以外の仕事」がすごく増えたので。「夢」パターンの返

大迫力! 頭上を滑空するアフリカハゲコウ(山口県美祢市)|ホンタビ! 文=川内有緒

 2011年、山口県のある動物園から1羽のアフリカハゲコウが行方不明になった。翼を広げると体長2・5メートルにもなる大型の鳥で、名前はキン。動物園関係者は必死に捜索を続けていた。  9日後、キンは約600キロも離れた和歌山県内で保護された。飼育を担当していた大下梓さんは、キンと再会したとき涙をこぼした。 「もう奇跡でした」  通常、動物園がロストした鳥を見つけるのはとても困難だからである。  そもそも、なぜキンは遠くまで飛んでいってしまったのか──。  脱走? いや

星空の下、遠くて近い宇宙を想う(熊本県阿蘇市・南阿蘇村)|ホンタビ! 文=川内有緒

 私が生まれた日はどんな日だったの?  幼い頃そう母に尋ねると、「ジャコビニ流星群が来た日だよ」と答えた。  いま思えば、その答えは正しくはない。なにしろその年は、観測条件が良かったにもかかわらず流星が見えなかった謎めいた年として知られているからだ。  それでも、自分は流星が降る夜に生まれたんだと考えることが好きだった。              ああ、久しぶりに満天の星が見たい。  そんな私が手にするのは、全卓樹さんの『銀河の片隅で科学夜話』。副題に「物理学者が語る

【箱根駅伝】のらりくらりと箱根越え (神奈川県足柄下郡箱根町)|ホンタビ! 文=川内有緒

 実家で暮らしていた頃、正月のテレビといえば箱根駅伝であった。私自身は、ああ、走ってるんだね、くらいしか思わず、見どころもわからないまま50歳に。いまさらながら何か大きなものを失っていたような気分になる。  そんな喪失感を埋めるため、今回は箱根駅伝最大の見どころの5区を旅する。スタート地点は小田原で、ゴールは芦ノ湖。高低差834メートル、高尾山を2回連続で駆け登るような過酷なルートである。  まさか走って? いや。歩いて? いやいや。身体能力がリアルへっぽこなんで、車に乗

大仏と石で感じるマニアの世界(茨城県牛久市・大洗町)|ホンタビ! 文=川内有緒

 巨大仏を見にいく。それが今回の旅の唯一の目的であり、それ以上でもそれ以下でもない。別に熱い信仰心があるわけでもなく、宮田珠己さんの『晴れた日は巨大仏を見に』の影響だった。  迎えた旅の当日、お天気は見事な快晴。絶好の巨大仏日和である。そして今回の案内人は、なんと宮田珠己さんご本人ときている。この連載2年目にして初の著者登場に「きゃあああ、宮田さああん! ありがとうございます!」と私も歓迎モード全開! なんという贅沢な旅だろうか。  この本で、宮田さんは国内の高さ40メー

神楽坂で“プチ・フランス”気分(東京都新宿区)|ホンタビ! 文=川内有緒

 30代の頃、6年ほどパリで暮らした。たまたま転職した仕事の勤務地がパリで、フランス語もフランス料理も知らないままの渡仏だった。おかげで最初の年は、日常生活を送るだけでも苦労と失敗の連続だった。  あるとき、母が『巴里の空の下オムレツのにおいは流れる』という本を送ってくれた。著者の石井好子さんはシャンソン歌手で、1952年に30歳で渡仏。8年をパリで過ごした。暮らしのなかで出会った様々な料理や食文化について書いた本書は、当時ベストセラーに。  フランス人が三人集まったら、

『檸檬』がつなぐ大正と令和 (京都府京都市)|ホンタビ! 文=川内有緒

 初めて『檸檬』を読んだのは、13歳くらいの時だ。一風変わった私の父が一番好きな小説だと言い、その存在を知った。  ある日、父の本棚の片隅で埃をかぶっていた『檸檬』を見つけた。  えたいの知れない不吉な塊が私の心を始終圧えつけていた。焦燥と言おうか、嫌悪と言おうか――酒を飲んだあとに宿酔があるように、酒を毎日飲んでいると宿酔に相当した時期がやって来る。それが来たのだ。  何が面白いのかがさっぱりわからなかった。やさぐれた男が街をさまよい、果物屋でレモンを買い、大きな書店

【タルマーリー】豊かな自然が生み出す発酵食(鳥取県智頭町)|ホンタビ! 文=川内有緒

朝早くから、パンが焼ける良い匂いが山間に漂っていた。元保育園という木造のかわいらしい建物に掲げられた看板には、「タルマーリー」の文字。異国情緒を感じさせるが、店主のイタルとマリコを掛け合わせた店名である。 アンティークのドアを開けると、中では数人がパンの生地をこね、オーブンからは美しいパンが次々と取り出されていく。その時私が思っていたことは、たったひとつ。 うわあ、早く食べたい! 私の心を読んだかのように、店主の渡邉格さんが「はい、どうぞ」と焼きたてを手渡してくれた。さ