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噂だけで城を明け渡すなど考えられない|『超約版 家康名語録』より(2)

この連載では、徳川家康の名言を厳選し、平易な現代語で解説した新刊超約版 家康名語録の内容を抜粋、現代を生きる私たちにも役立つ家康の考え方をご紹介します。NHK大河ドラマ「どうする家康」の第1話(1/8放送)では、桶狭間の戦いで今川義元が討ち取られたと聞くや否や、真っ先に城から逃げ出す情けない武将として描かれた家康ですが、幕末の館林藩士・岡谷繁実おかのやしげざねが記した『名将言行録』にはまったく異なる家康の姿が描かれています。はたして歴史の真相やいかに──?

超約版 家康名語録』(榎本秋 編訳/ウェッジ)

噂だけで城を明け渡すなど
考えられない

『名将言行録』

成長した竹千代は松平元康と名乗り、今川氏に従う武将の一人になった。正室として今川氏の重臣の娘(義元の姪)を迎えており、いよいよ今川氏の勢力に取り込まれた、といえる。しかし、そんな元康に転機が訪れた。義元が桶狭間の戦いで討死したのだ。

この時、元康も三河勢を率いて出陣しており、織田方から奪い取った大高城に入っていた。織田方に包囲されていた大高城を救うために兵糧を運び入れさせたエピソードがよく知られている。

凶報を知らされた今川方の軍勢は多くがすぐさま逃げ出した。松平の家臣たちも逃げるよう元康に訴えたのだが、彼は首を縦に振らなかった。入ってくるのは世間の噂ばかりで、はっきりとした情報ではない。そのような話で城を明け渡すことなど考えられない、と言うのである。

結局、今川の武将と連絡が取れて状況がわかったので、元康は大高城から引き上げた。この行動は今川氏への忠誠心ゆえか、というとそうも思えない。逸話によると、元康は「連絡がないのは今川側の手落ちだ」と主張したらしい。万が一義元が生きていた場合、勝手に逃げていたら、元々の今川家臣ではなく立場が弱い自分は大きなペナルティを負わされると考えたのではないか。

文=榎本 秋

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榎本 秋(えのもと・あき)
1977年東京生まれ。文芸評論家。歴史解説書や新書、評論や解説などを数多く手がける。代表作は『世界を見た幕臣たち』(洋泉社)、『殿様の左遷・栄転物語』(朝日新書)、『歴代征夷大将軍総覧』『外様大名40家』『戦国軍師入門』『戦国坊主列伝』(幻冬舎新書)、『将軍の日本史』(MdN新書)、『執権義時に消された13人』(小社刊)など。福原俊彦名義で時代小説も執筆している。

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