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紀行文の名手・田山花袋が賛美した夏の嵐山と保津川下り|偉人たちの見た京都

偉人たちが綴った随筆、紀行を通してかつての京都に思いを馳せ、その魅力をお伝えする連載「偉人たちの見た京都」。第13回は、『蒲団』や『田舎教師』の著作で知られる文豪・やまたいです。紀行文の名手でもあった花袋は、全国を汽車で巡った著作『日本一周』で京都・嵐山の夏を称えています。京都屈指の景勝地である嵐山ですが、花袋はなぜ夏が良かったでしょうか。

 今から110年ほど前の大正初期。独力で日本一周の旅行案内書を作ろうと考えた作家がいました。『蒲団』や『田舎教師』などの名作で文学史に名を残す、自然主義派の文豪・田山花袋です。
 
 1871(明治4)年に群馬県館林に生まれた花袋は、小説家を志して上京。1891年に尾崎紅葉こうようを訪ね、その門下生となります。英語を学びながら西欧文学の新潮流に触れるなか、くに木田きだどっや島崎藤村らとの交流を深め、次第に客観描写を重視した自然主義へと傾斜していきます。1907年に花袋が発表した『蒲団』は、藤村の『破戒』と並び、日本の自然主義文学の初期の傑作と高く評価されました。

晩年の花袋 写真提供:田山花袋記念文学館

 実は花袋は紀行文の名手としても知られ、数多くの著作を残しています。その中でも特筆すべきものが、1914~16年に発表された紀行文集『日本一周』です。日本全国を汽車で巡り、各地の景観や史跡を写実的に紹介するという30代の花袋らしい挑戦的な企画です。前編(近畿・東海)、中編(中国・九州・四国)、後編(関東・東北・北海道)の三部作で、その前編に、京都・あらしやまの夏景色が描かれていました。
 
嵐山――京都の嵐山、これほど人口に膾炙かいしゃしているところはあまりあるまいと私は思っている。嵐山を知らないものは子供にもあるまい。教科書の読本にもその写真が出ている。
 
 京都の一般的な観光で嵐山を外すことはまず考えられないでしょう。花袋がこの文を書いたのは大正の初め頃のことですが、当時から嵐山は京都を代表する景勝地となっていたようです。

京都を代表する景勝地・嵐山の渡月橋

 あた山と老ノ坂峠との交接点を、保津川が西から東へと流れてきている。保津川はかなりの急流である。谷もかなりに大きく深い。丹波の亀岡から出る早舟は一時間ならずして嵐山のすぐ下まで来る。
 
嵐山は老ノ坂山脈から突出した一連峯である。そしてそれが保津川(桂川)に臨んでいる。
 
こなたの岸から見た嵐山は、高くもなくさりとて低くなく、ちょうど感じが好い具合になっている。一面に灌木かんぼくが生い茂っている。松などもかなりに多いようである。その間から山桜がチラチラ見える。そしてそれが清い渓流に映っている。
 
 嵐山は京都市街の西、丹波高地から亀岡盆地・保津峡を経て下るおおがわ*が京都盆地に流れ込むあたり。周囲を嵐山・松尾山・小倉山・亀山といった小高い山に囲まれている場所の総称です。

大堰川* 川の名称としては大堰川が正式で、保津峡の部分は保津川と称し、渡月橋から先は桂川と呼ばれます

 川の南北にはげつきょうがかかり、朝霧や夕靄ゆうもやにかすむ橋の風景は水墨画のような美しさで知られています。すでに平安時代には橋もあり、貴族の別荘も置かれていたこの地は、古くから和歌の題材にもなっていました。桜、紅葉、月見、雪景色と四季それぞれの表情が楽しめる名勝なのです。では、どの季節が一番いいのでしょうか?

 嵐山の話が出た時、
「一番いつが好いでしょう?」
こう誰かが訊くと、
「さぁ、秋ですかな」
京都に長くいた一人が言った。
「夏も好いですよ」
他の一人が言った。
 
 ちょうど季節は夏であったのでしょう。花袋は「我が意を得たり」とばかり、語り始めます。
 
私も夏が好きな一人だ。緑葉の影の深い向こうの岸に、白い幔幕まんまくを張った舟などがつないであって、そこで弾く三味線の音が流るるように水に響いて聞こえてくる。
 
量の多いあおい水は瀬をなして、そして上から落ちてくる。涼しい風が肌にしみ通るように吹いてくる。三軒茶屋の二階あたりで、鮎のすしで酒など飲んでいると、何とも言われない好い心持ちがする。 

と、つい興に乗って、船で、温泉あたりまで行ってみたいような気になってくる。川原にある早舟の会社から、私たちはすぐその舟に乗ることができる。船頭は棹を弓のように張ってそして流れをさかのぼっていく。少し入ったあたりからは曳舟ひきふねでなければ通れないくらい瀬が早くなっている。向こうの岸を麦わら帽子をかぶった男が女とれ立って歩いて行く。
 
 夏の嵐山に遊んでいた花袋らの一行は、渡月橋の近くから舟に乗り、保津川を少し遡った場所にある温泉をめざします。舟は上流に向かい、途中からは陸から引っ張る曳舟となりました。

保津川を行く早舟

温泉には大きな風呂場がある。そこから上がってきて、川に臨んだ一間で、碁などを打ちながらゆっくり酒を飲むのは何とも言われない興味がある。丹波に行く汽車と隧道ずいどう(トンネル)とは少し殺風景だが、それもそういうものとあきらめればそう大して気にもならない。
 
それに、料理がそうまずくない。旅客は女中の持ってくる板から、自分の好んだものだけを選んで食うことができる。涼気が浴衣の袖にみなぎりわたってくる。
 
 温泉と酒と料理と川からの涼しい風で、夏の一日を楽しむ花袋の姿が想像できます。彼らがこうして涼を満喫した宿は、当時、保津川に面した場所にあった1897年創業の温泉旅館「旧らんきょうかん」と思われます。源泉の湯温が11度前後と低いため、加温して提供していたようです。
 
 この旧嵐峡館は2007年に休業。その後、経営者が替わって大変貌。現在は完全にリニューアルされて、京都を代表する最高級ホテル「星のや京都」に生まれ変わっています。舟で宿に行くスタイルは同じですが、天国の花袋もこれには驚いていることでしょう。
 
花の時は、やや雑踏に過ぎている。東京のようなことはないが、それでもなんだか俗だ。それに、山桜の松の間から見えるさまはちょっと好い感じがするが、盛りをすぎると、何だか汚いような気がする。灌木とのつり合い上ことにここにはその感じが多いように思われる。どっちから言えば早いほうが好い。
 
秋は無論春に比べれば好い。紅葉も高尾ほどではないが、木の種類に変わったのがある。それに、山のさびしい気が何となく人の心を落ちつかせる。好いところだという気がする
 
三軒茶屋あたりから山を見た景色も好いが、渡月橋を渡って、向こう側に行って、紅葉もみじの中を歩くのも面白い。夕日が山の陰に落ちるようになっているので、光線がやや暗いが、その暗いのにまたこまやかな味がある。それに松の多いのが、どれだけ紅葉のために色彩を増すか知れない。その路を辿ると、十町*ほどでたいかくのところに行くことができる。 

十町* 約1.1km

 桜の季節の嵐山は花見の客が多いためか雑然として、花袋には俗に映っていたようです。それに比べれば、秋はやはりいい。旧三軒茶屋は保津川の左岸にありましたが、ここから対岸を臨めば、嵐山・松尾山の紅葉が松の緑と絶妙な配合を見せています。右岸にわたって、川沿いの道を上流に歩けば、江戸時代の豪商・角倉すみのくらりょうによって建立された大悲閣千光寺に至り、保津峡の絶景を眺めることができます。

保津峡の渓谷美

それから、保津川を下る早舟も面白い。これはぜひ一度やってみる必要がある。それには、汽車で、丹波亀岡に行く。亀岡という町がちょっと変わった山の中の町だから、そこにわざわざ行っても後悔するようなことはない。町の中ほどに、早舟の出るところがある。一人前四五十銭で嵐山の下まで来ることができる。

現在でも観光客に大人気の保津川下り。花袋は「ぜひ一度はやってみる必要がある」と言い切ります。

保津川の瀬はそう大して規模が大きいとは言われない。谷も小さいが、しかし両岸のあい連なっている具合がどこか深い山のような気を起こさせる。富士川のある瀬からある瀬までをここに持ってきたというような趣がある。 

岩と岩との間を舟は縫うようにして下ってくる。船頭はへさきに立って、岩の来るのを迎えては、さおをそれに突き立てて、そして船を転回させる。あっと思った瞬間に船はぐっと曲がって、そして泡立った瀬の中に落ちて行く。飛沫が高く上がって、時には衣の袖をぬらすことなどもある。

保津川下りの舟。水しぶきをあげながら岩の間をすり抜けて進む

こうした瀬は少なくとも十二三ヶ所はある。汽車のトンネルを見ながら下りて行くようなところもある。そして一時間足らずで、船はもう温泉の下に来ている。 

 保津川での水運の歴史は、長岡京を造営する際に木材をいかだで流した1200年前に遡るとされています。舟による水運は、大悲閣を建てた角倉了以により保津川が開削された1606(慶長11)年以降。客を乗せた舟下りは明治中期、1895年頃から始まりました。現在は国内外から多くの観光客を集める京都でも有数の人気アトラクションとなっています。
 
 花袋は1930年に58歳で亡くなるまで、旺盛な執筆活動を続けました。小説ばかりでなく、特に紀行文は熱心に執筆し、日本全国の温泉を巡る本も数多く残しています。よほど旅が好きで、紀行文を書くのが楽しかったのでしょう。

 ただ、今回紹介した個人版の『日本一周』の企画は、さすがの花袋にも荷が重かったようです。序文には、こんな‟言い訳”も記されています。
 
日本全国を描いてみようと心がけましたが、やりかけてみて、これはなかなか容易な業ではないということを知りました。これを完全にやるには、旅行家であり、地理学者であり、歴史家であり、文学家であり、その他あらゆる種類の知識を持っていなければ駄目だということを痛切に知りました。(略)しかしとにかく、こういう企てを試みたという点は見ていただきたいと思っております。
 
 苦笑いする花袋の顔が目に浮んでくるようです。

出典:田山花袋『日本一周 前編』「京都」
文=藤岡比左志

保津川下り
京都・亀岡から嵐山まで16キロの舟下り(約2時間)。
詳細は下記ホームページをご覧ください。
https://www.hozugawakudari.jp/

藤岡 比左志(ふじおか ひさし)
1957年東京都生まれ。ダイヤモンド社で雑誌編集者、書籍編集者として活動。同社取締役を経て、2008年より2016年まで海外旅行ガイドブック「地球の歩き方」発行元であるダイヤモンド・ビッグ社の経営を担う。現在は出版社等の企業や旅行関連団体の顧問・理事などを務める。趣味は読書と旅。移動中の乗り物の中で、ひたすら読書に没頭するのが至福の時。日本旅行作家協会理事。日本ペンクラブ会員。

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