見出し画像

まったく知らない世界へ。

はじめまして、竹之内響介と申します。6年ほど前からワンオペでPR映像の企画と制作を開始しました。

もともとは1988年からTV-CMの企画演出で、フリーになってから27年がたちました。みなさんの中にはまだ生まれていなかった方もいるのではと思います。たぶんhonmono協会で孫がいるのは私だけではないでしょうか。

今年ホームページを作ってみたのがきっかけでプラットフォームに登録し、honmono協会ともそれがきっかけで出会いました。honmono協会は、自分が長く生きてきた広告業界や他のプラットフォームとも違うまったく知らないユニークな熱い世界で、驚くことばかりです。

逆転につぐ逆転の人生

スポーツの試合で観ていて一番面白いのは逆転につぐ大逆転です。でもやってる方にしてみたらとんでもない話ですよね。自分の人生は逆転の連続で、よくまあ生きてこれたなというのが実感です。この逆転劇はとてもここに書ける量ではありません。

そもそも2歳の誕生日に肥料ダメに落ちて死にかけたところをたまたま通りかかった主婦が助けてくれて一命をとりとめるという奇跡が人生のスタートでありました。母は私があんまり動き回るので、柿の木に縄でつないで洗濯物を干していたのだそうですが、気づいたら縄だけになっていたと。三輪車に乗った兄がいたので安心していたらしく、油断したのでしょう。

スクリーンショット 2021-10-15 9.28.07

浮いたり沈んだりしていた私を助けてくれた人は半年前に川遊びで息子さんを亡くした人だったそうで、生まれ変わりとも言われました。浮沈の多い人生はこうして始まりました。それを全部書くことはできないので28歳の時の象徴的なお話をひとつ――。

走り出したオリエント急行から飛び降りる

一度就活に失敗したのちCMの制作会社に入ったのは23歳の時でしたが、5年間一度も企画が通ったことがなく、首になりかけて別の制作会社に転職したところ・・・

①電通の超偉い人に突如企画が採用される➡
②ヨーロッパロケに帯同➡
③ちょっとした手違いで走り出したオリエント急行から歯ブラシをくわえたままホームへ飛び降りてゴロゴロ転がる➡
④片田舎の未明の駅に1人取り残される➡
⑤15分後オリエント急行はバックで戻ってきました…とか。
嘘みたいな話ですがこんな話の連続です。

スクリーンショット 2021-10-15 9.34.10

このあとまさかこの列車から飛び降りることになるとは・・・
カチンコ(ボード)を持っているのが28歳の私

喜び➡絶望➡逆転➡絶望➡逆転…が私の歩んできた人生です。これからもだいたいそんな感じかなと想像しています。

ちなみに初めてhonmono協会で参加した企画競合プレも…
①オリエンとぜんぜん違うものを間違ってプレゼン➡
②ウケたけどクライアントが途方にくれる➡
③企画再提出で競合勝利、という流れでした。

8年前にアキレス腱を断裂するまではサッカーばかりしていましたが、高校時代、初めて都大会出場を決めた試合の永遠とも思える残り5分のふんばりがその後の人生の逆転にかなり影響したと思っています。

夢は映画監督。 しかし・・・

高校1年と2年の文化祭でクラスでやったお芝居の作演がきっかけで映画を作ってみたくなり、日大の芸術学部の映画学科に入りました。ところが映画業界への就職はなく、CMの演出になって映画監督を目指そうと思って制作会社に入ることにしました。

しかし、当時CMディレクターの採用は超狭き門で一度就活に失敗し、ニュースの会社でバイトをしながら再度挑戦してなんとか採用されたという展開でした。CMの世界から映画監督になった人は多いので、道の選択自体は間違ってなかったと思います。フリーになってから自主映画も何本か作り、SSFFでも上映されましたが仕事としての映画監督への道は開けませんでした。CMがきっかけでゲームソフトの劇中ムービーのCGディレクターとしても仕事が舞い込み、今も続いています。

もう一度シナリオの勉強をしなおそうと、表参道のシナリオセンターに通ったのは50代前半のことで、4年後、そこで舞い込んだコンペがきっかけで自分の書いた小説が店頭に並び、2016年にはミズノスポーツライター賞もいただきました。…でも映画監督にはなれなかったのです。

この人生を例えて言うならば、横綱を目指していたのに「ジーンズの似合うおすもうさん」で表彰されたり「チャンコ作りが上手なおすもうさん」で表彰されたような気分です。この先大逆転があるとはさすがに…思えない今日このごろです。

壁を乗り越えることは誰でもできますが…。

逆転連続の人生だったので乗り越えた壁の数は書ききれません。フリーになって最初の博報堂の企画打合せで企画を説明したらドッチラけで絶望…という洗礼を受けましたが、奮闘の末、結局いろんな会社から電話があり、その年だけで95本の企画の仕事をこなしました。打ち合わせで歩きすぎて靴の底に穴が開きました。

壁を乗り越えることは誰でも出来ると思うのです。ただ、それは壁を乗り越える理由があればの話で、その理由を見失うことこそが人生最大の危機でした。CMディレクターの引退という「CMディレクターになって映画を作る」という夢の旗印を失った瞬間でした。しばらくは燃料の切れた小さなモーターボートで波間を漂っているような気分でした。

その頃です。一念発起して動画制作を始めたのは――。

画像5

honmono協会でめざすこと

honmono協会に入って色々な人と出会い、焚火をしながら美味いビールも飲ませていただきました。さて、自分には何ができるかなと思うのですが、無駄に長く生きてきたとはいえ、若い方に何か役に立つことをお伝えできたらいいなと思っております。

数年前から制作会社の若者にちょっとだけ企画のコツを話したところたいそう喜ばれました。今の時代は私が若かった頃のように企画のやり方を誰かが教えることがないみたいで、他のプラットフォームでも企画からできるということで打診があり、企画競合に勝ち続けています。

これを書いている今日と明日も競合プレのプレゼンテーションに行くのですが楽しみであります。長くサッカーをやってきたので競合と聞くと闘う相手がいるから燃えるのだと思います。

これからの人生

…がどうなるかはわかりませんが、3年ほど前から池袋でホームレスや生活困窮者への炊き出し(現在はコロナの影響で弁当配り)をお手伝いしています。tenohasiという団体で最近よくテレビで紹介されているので観た方もいるかもしれません。tenohasiとかhonmonoとか不思議な名前に縁があるようです。

そこで知り合った災害ボランティアの人に誘われて2019年の台風で屋根が吹き飛んだ千葉の鋸南町で屋根に上ってブルーシートをかけ続けました。でも歳が歳ですから力仕事よりはカメラでこうした人達の活動を紹介する方が役に立つだろうと思い立ち、映像のプロボノとして長野や福島、東北などにも行きクラファン用などで無料で動画を作り続けています。

画像2

自分のスキルがこうした形で社会のために役立ち、映像の仕事をやってきたことはまんざら無駄ではなかったな、なれなかったけど映画監督を目指したことが今日のこの瞬間につながっているのかも、と思える今日このごろであります。

映像制作人生あとわずか。電車の中に若者が乗ってきたら、さっと立って席を譲ってあげる――。そんな爺いになれたらいいなと思っております。では今後ともよろしくお願いいたします。

図1

竹之内響介
1959年東京都西東京市出身。本名竹内幹。現在小金井市在住。
日本大学卒後、CM制作会社を経て1994からフリーのCM企画・演出。CM代表作は20世紀カップヌードル(永瀬正敏出演・ACC殿堂入り)、三共リゲイン(佐藤浩市出演)、任天堂ポケモンおじさんシリーズ(綿引勝彦出演)、TBC(ベッカム夫妻)、VISA(お札のそっくりさんシリーズ)等。コーエー・テクモゲームスの三國無双、戦国無双などの劇中ムービーのCGディレクター。2011年よりライターとしても活動中。
現在はPR映像の企画・演出・撮影・編集を行う。

Webサイト:https://www.film1.shop














この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?