#3 「孤独」と「孤立」はちょっとちがう
Facebookに、前回の記事を投稿したときに、
紹介文として書いた文章があるのですが、
「あ。これが本当は言いたかったことかもしれない!」と思ったので、
加筆改訂して、お送りします。
何を心の真ん中に置くにせよ、
何を土台に据えるにせよ、
それをするのは自分。
これって、しんどいこともあるんだけど、
「孤独なこと」といえば、そうなんだけど、
「孤立すること」じゃないとおもうのです。
自分の舵は自分しか握れない。
だから他人任せにはできない。
そこは動かぬ事実。
でも、誰かに相談したり、
助言をもらったり、
励ましをもらったっていい。
「しんどいからなんとかしてください!」って、
祈るのもあり。
自分にしか握れない舵取りだし、
人生は、常に「初体験」の連続で、
「未知との遭遇」と、「正解のわからない選択」の連続。
自分のことを理解するのが、
自分のことを知るのが、一番難しい。
自分のことなのに、わからないことだらけの中、
自分のことなのに、思い通りにならないことだらけの中、
自分のことだからこそ、
見たくない、恥ずかしい、憤りや腹立たしさにまみれて、
いくらでも心をくじかれる。
そんなことばかりだからこそ。
助け合える仲間の存在が、すごく大事。
一人でもそんな仲間がいれば、
それはめちゃくちゃ恵まれてる。
ものすごい嬉しいし、心強い。
だからこそ。
どんな人と関わるかがまた、重要。
「孤独」は自分との対話。
他人の評価に気を取られない時間や空間だけど、
他人と関わるために、
自分とわたしが二人三脚で、吟味する時間。
他者との関わりの鏡で、自らを写し、
新鮮に自分の中に入ってくる「情報」を
一つ一つ、味わって、吟味して、選ぶ時間。
いつか誰かと関わる準備。
誰かと関わる、その前提がある。
他者と繋がることに対して、希望を持っている感じ。
「孤立」は自分以外の誰かの存在が遠い。
存在感が「薄い」のではなく、むしろ「強い」。
「強い」が故に「遠い」
もしかしたら、渇望していて、
関われないのか。
もしかしたら、絶望していて、
関わらないのか。
いずれにしても、「希望」が薄い。
「孤独」がカッコ悪いという風潮を少なからず感じるけれど
誰かと常に共にいて、流されるだけなら、
それは、自分自身に対して無責任な依存かもしれない。
主体的に自分を見つめ、
吟味し、選ぶこと。
「生きる」って、そういうことなのかもしれない。
だからこそ。
一人では生きていけないのだと思うし、
どんな人と関わるかがまた、重要、なんだな。
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