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#2 自分との対話こそが最後の砦

今回は、こちらの配信の感想を綴りたいと思います。

これをきいて、やっぱり最終的には、
こういった、世間の動きや世論のことも、
自分を取り巻く状況を知るという意味で重要だけど、

なぜ、それを知るのか?
知った後どうするのか?
ここが一番大事だよなと。

状況を知り、何が大切か、何が必要かを知り、
必要だと知ったことを、日常に適用する。

日常に適用できなければ、なんの意味もない。

権力者や悪なるものは、
市民を支配し、搾取し、
都合が悪くなったら犠牲にして、
自分たちだけが私腹を肥そうとするもの。

そのためにあの手この手で、
「そうだと悟られないように」
私たちを、意のままに動かそうとしてくる。

そのためには、私たち人間の最も弱いところをついてくる。

最も弱いところとは「欲望」。
しかも、その欲望が枯渇しているところは、急所中の急所。

その欲望の罠を、世の悪は巧妙に突いてくる。
巧妙に、狡猾に。
それらは、私たちに気づかれないように忍び寄ってきて
気づかないうちに流され、騙され、支配されていく。

もちろん、わたしも、そう。
誰も、多かれ少なかれ、支配され、騙され、
そうとは知らずに流されていくもの。

でも、どこかで引き返すことはできる。
修正するチャンスは、ある。
そのためには、常に「自分と向き合っていること」が大切なんだなあと
あまりにも、月並みだがそう思った。

自分を知り、把握していなければ、
自分を見失って修正以前の問題だから。

自分の本音や感情をただ見つめ、認め、自覚すること。
そして、その動機や状態を知ること。
次に、どんな土台に立ち、どんなあり方を目指したいか、方向性を選ぶ。
常に立ち返る、その場所から、ずれていないか。
動機や状態や、やり方に間違いがないか。
自分を正当化したり、誤魔化したりしていないか。
それが「ある」と気づければ、再選択出来る。
再選択できれば、修正できる。
日常に適用することで、現実が具体的に変わっていく。
適用がすぐにうまくいかなくても、自分自身がそれだけで変化する。
間違いも、回り道も、最終的には「益」となる。

自分と向き合って、吟味する思考習慣、精神態度。
それも、常に「本質とは何か」を問う在り方。
これ以外に、欲望を欲望と気づき、渇望を渇望と認め、
そこに巻かれないための対策を考えることなんて、不可能だ。
そうでなければ、そうと気づかずに、何も知らずに、
ただ、流されていくだけだ。

これは時間がかかるし、地味だし、
時々は、目を背けたい自分に直面することもある。

でも、往々にしてその部分こそが、
今後の事態を打開するための「要」だったりする。

「要」を見ずして、何を変えられるというのだろう。
「要」を知らずして、何を解決できるというのだろう。

わたしの好きなユダヤ賢人の言葉にこんな言葉がある。

「小さい事に忠実な人は、大きい事にも忠実であり、
小さい事に不忠実な人は、大きい事にも不忠実です。」

本当に、本質的に心の美しさが見た目に現れるような
そんな在り方や生き方を目指し、
今日もオタクな探究はとまらない。

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