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バスケ部みたいな巫女さんからお守りを授かる

こんなに何も起きない週があるのだろうか、と驚いている。

今週は本当に特筆すべきことがなかった。先週遠出をした疲れがどっと押し寄せてきて、ずっと放心状態で過ごしていたからだと思う。

だからといって、このままボサッとしていてはnoteが書けない。何かないものかと日記帳をめくっていたら、初詣に行った日の記録に目が止まった。

思い出した。もともと、私の家は初詣に行く習慣がないのだけど、どういう風の吹き回しか、今年は神様に挨拶をしようと思ったのだった。

日記の日付を見るに、信心深くない私は元日から数日遅れて初詣に行ったようだ。神様よりも新型コロコロウイルスだか何だかを避ける方が大事だったのであろう。

朝9時、社務所が開くのと同時に一礼して鳥居をくぐる。そこそこ繁盛していたであろう屋台はみんな主人に置き去りにされ、油の馴染んだ鉄板だけが冷えていた。

感染対策によって手水舎の柄杓は撤去されており、手水は手酌で行うことに。ただでさえ凍えるような気温だというのに、手水舎の水は更に冷たい。辛うじてあった手の感覚はここで完全に無くなった。初詣は過酷だ。

温水手水なんてあったらきっと流行るだろう(もうすでにあるかもしれない)。新年から煩悩にまみれたことを考えながら空っぽの参道を進む。きっと、いや絶対に私は神職に向いていない。

ご神前で二礼し、感覚のない手で柏手を打った後、また一礼して退く。新年のご挨拶と、いっちょまえに「働けるようになりますように」とお願いしてみた。叶ったら嬉しい。

拝礼後、元来た参道を振り返ると参拝客がぱらぱらと見え始めていた。地元の小さな神社に来る彼らに、私も混じっている。引っ越して7年。ようやくこの町の一員になれた気がした。

初詣といえば、私は真っ先におみくじを連想するのだけど、皆さんはいかがだろうか。神社に行く1番の楽しみは、なんといってもおみくじだと思う。

だから私は拝礼後、真っ先におみくじの列に並んだ。

この列も間隔を開けて並んでいるものだから、実際の人数よりも大規模なものに見える。私の前にはおみくじ待ちの人が5人くらいいたのだけど、遠目に見たら15人は並んでいるように見えるだろう。それくらい長かった。

「うわ、おれ凶やねんけど!」

背中から、一足先におみくじを引いた家族連れの弾んだ声が聞こえてくる。言葉では嘆いていても声は嬉しそうだ。仲睦まじいことは良いことである。

そう言えば私は1度も凶を引いたことがない。今まで引いたおみくじは半分くらいが大吉で、残りは吉とか中吉とか、どっちが良いランクだったかごっちゃになるやつだった。

今調べたら中吉の方が良いとか、いやいや吉が良いだとか、サイトによって言っていることが違っていて混乱する。神社によって異なるけれど、どうやら公式には吉の方が良い。らしい。

きっとこの知識もすぐに忘れて、しばらくしたらまたWikipediaにアクセスするだろう。簡単に手に入れた情報ほど、身にならないのだ。

そうこう考えているうちに私の順番が来た。

番号が書かれた棒が入っている、名前がよく分からない筒状の箱をぐるぐる回す。2~3回まわして逆さまにしたけれど、中々棒が出てこなくて少し焦った。

箱を何回かゆすり、観念したように出てきた棒をおみくじと交換する。結果は“半吉”だった。

半吉とは。

見たことも聞いたこともない結果に、頭の中がはてなマークでいっぱいになった。中身を何度も読んだけれど、良いのか悪いのかすら分からない。強いて言うなら「まあまあ」だ。

さっきお祈りした仕事関係のことはどうだろうと思ってフムフム読むと“願望少しく叶う”とのこと。

少しく叶うとは。

今年は叶わないが、成就に向けて動きがあるということだろうか。そうだと嬉しい。ぜひとも少しく叶っていただきたいものである。

1人でおみくじを凝視する私の隣では、さっきの家族連れがまだ盛り上がっていた。本当に仲の良い家族だ。彼らの白い吐息すら尊いものに見えてくる。

新年ムードの赴くまま、何となくお守りでも見てみよう。気分が良くなった私は凍て蠅のような足取りでフラフラと社務所に誘われていった。

「よいお詣りでーす」

アルバイトと思しき若い巫女さんがズラリと並んでお守りを授与している。最近のお守りは可愛いものが多い。

昔は渋い色をした布地に、毛筆で“商売繁盛”とか“交通安全”とかいう文言がでけでけと書かれていたように思うけど、ここにあるのはコレクションしたくなるようなデザインのものばかりだ。

健康や仕事に関するお守りを探したけれど、この神社ではそういった細かいジャンル分けはされていないようだった。なので好きな黄色のお守りを選んで巫女さんに頼む。

授与してくれたのはバスケ部みたいな巫女さんだった。

目が大きくて、短い髪が朝日に赤く透けていて、肌が白い。「バスケ部 女子」と検索したら、あの巫女さんにそっくりな子の画像が山のようにヒットするだろう。

ハツラツとした見た目だったけれど、装いはしっかりと巫女さんで、マスクに阻まれた不明瞭な声は、運動部のイメージとはかけ離れたものだった。

そのギャップが新鮮で、この巫女さんのことは今もよく覚えている。なぜか日記には書いていないけれど。

「よいお詣りでしたー」

巫女さんのひっそりした声に頭を下げて、私の初詣は終わった。

来たときは人っ子一人いなかった屋台には、チラチラと人の影が戻っていた。今日もまた大判焼きやハットグを売るのだろう。彼らの店もここのご利益にあやかって繁盛すると良いと思う。

最後に鳥居に一礼していそいそと帰路につく。

神社の前の駐車場には明らかに車が増えていて、そのほとんどが地元ナンバーだった。ここの神様は、もうしばらく新年の挨拶とともに大量のお願い事を聞くのだろう。

妙なおみくじを引いて、バスケ部のような巫女さんに出会った、よいお詣りでした。

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