画一的な授業から脱却できないのかな。~「脳の配線と才能の偏り」を読んで~

こんにちは〜honaです!

さて今日は遅くなってしまったので(^^;
さっくりと更新していこうと思います。

もうすぐ、こちらの本をもうすぐ読み終わります。
正確にはAudibleなので、聴き終わります。

ディスレクシアやADHD、ASDなど、脳の障害によっていわゆる定型発達から少しはずれた発達の仕方をする性質について、ご本人のインタビューと専門家の豊富な知見がとても詳しく書かれていました。

この本を読んで良かったと思った1番の理由は、初めて、早期介入が非常に重要であると言うことを認識できたこと。

この本を読むまでは、大した知識もないにも関わらず、いわゆる発達障害については個性が強まっただけで、定型発達の子と違う扱いをする事は好ましくないと考えていて、病名をはっきりさせてしまう事にも少し否定的な考えを持っていました。

しかしながら、定型発達と比較すると強いと思われるその個性を伸ばしてあげる為にこそ、早期介入をすることが重要であることを、この本を通じて学びました。
まずはしっかり診断して、その上で家族、友人、さらには医療や教育など周囲が理解しサポートをすることで、いわゆる「普通」の人と異なる素質を活かしながらが成長、生活することが非常に大事なんだそうです。

発達障害は、現代ではとても身近なものとなり、小学校では1クラスに数名、そのような性質を抱える子が居るのが当たり前になっているようです。
小1長男のクラスでも、授業参観時に教室から抜け出したり、歩き回る子が数名いました。

発達障害が増加している原因は、現代的な環境や大人の関わり方ではないかという話も聞き、そちらも気がかりではあります。
しかしながら私は、まずは目の前の、生きづらさを感じている子どもを支援してあげたいという思いを、感じています。

椅子にじっと座ってられないことが、どうしていけないんだろう?
教室を出ていくことを、どうして止められなきゃならないんだろう?

きっと、そう感じている子どもたちは、クラスに数名どころか、もっと居るんじゃないかな。

そう考えたときに、やっぱりいま主流になっている一斉授業の形が、子どもにとって良いものとは思えないのです。
クラス全員30人が同じ時間に、同じ授業を受ける。椅子に座ることを求められる。
その30人は、すべて別々の個性を持っています。算数が得意な子もいれば、虫が大好きな子もいるし、走るのが好きな子もいる。椅子に座ってじっといられなくても、本が大好きで図書館でなら静かにするかもしれないし、ピアノを夢中で弾いたりするかもしれない。
その個性のばらつきを無視せずに、彼ら自身の内から湧き出る好奇心を最大に発揮できるような環境を、学校で提供出来たら、もっともっとみんなが居やすい場所、行きたい場所ができるんじゃないかな。そんなことを、よくふわふわと考えています。

今回読んでいる本の中でも、専門家の方が「自分の力を、得意なことに80%、苦手なことに20%配分する」ことを推奨していました。

脳の可塑性は、幼少期に顕著です。さらに脳細胞の爆発的な象かも、同様に幼少期に発生します。つまり子ども時代は、脳がめいっぱい育つ時期なのです。
さらに、その時期に、自ら好奇心を持って取り組む事(=遊ぶこと)が、さらに脳の発達を促すそうです。

そうした脳科学の知見を踏まえても、やはり全員に同じ授業ではなく、個人の興味があることに取り組める授業が、本来は望ましいのではないのかな
。それが個人の能力を最大限に伸ばし、社会の力になっていくんじゃないかな。考えています。

具体的にどんな授業?公立校じゃ難しいでしょ?などなど、具体的なことは考えているわけではないので恐縮ですが・・・。
しかも小1長男はガッツリ公立小学校で、日々一斉授業を受けているので、私にとってもいつの間にかそれが当たり前のように感じてしまいそうになって・・・狭間でゆらゆらと、常に揺れ動いております(^^;

ただ、子ども達の未来が、少しでも明るいものであってほしい。そう思います。


では今日はこのへんで。

お読みいただきありがとうございました!


hona

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