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つまんない大人に、なっちゃった。

こんにちは〜honaです!毎日投稿中です!

今日は、私もつまんない大人になっちゃったなぁと思ったお話を残そうと思います。

明日からキャンプ。しかも4泊5日!3泊以上は初めてなので、子供は「わーい!!」と大層喜んでいますが、大人はどきどき^^;
そんなわけで前日の今日は、午前中が大雨だったこともあり外出せずにおうちでキャンプの準備をしたり家の掃除をしたりして過ごしていました。

最近1日10分お家の手入れをしていて、先日雑巾がけをしたらとてもきもちよくて、それを見た息子も「やりたいー」と言っていたので、息子に「雑巾がけやる?」と聞いてみたら、快く「やる!」と言ってくれたので、私が掃除機をかけた後にリビングの雑巾がけをやってもらいました。

息子がリビングの雑巾がけをしてくれている間に、私が2階に掃除機をかけに行っていて、そのあと階段の掃除機をかけようと始めたら、階段の下の方から物音が…
もしかしてと思ったら、掃除機をかける前に息子が雑巾がけをしてくれていたのです。

ここでとっさに私は「そこ掃除機かけてからやって欲しかった」と言ってしまいました。

さらにそのすぐ後に畳みかけるように「ありがたいよ、やってくれるのは嬉しいしありがたいんだけど、掃除機かけてからやらないと、埃がくっついちゃうんだよね…」と。

ハッとしたのも束の間。みるみるうちに悲しそうな顔になる息子。


あー、やってしまった。

なんで、ありがとうとか嬉しいとか、肯定する言葉を最初にかけてあげられないんだろう。

息子には、階段の雑巾がけを私からはお願いしていなかったので、きっと「階段も雑巾をかけたらママが喜ぶだろう」と息子なりに考えてやってくれたんだろうと思います。

それなのに、私はその息子の優しさを踏みにじるような言葉がけをしてしまいました。
私も昔からそうした言葉をかけられて、つらい思いを感じたことがあったのに。

私も、つまんない大人に、なってしまったなぁ。


もう何回もこうやって反省して後悔している気がします。対子供に限らずですが。

もし私がこのようなネガティブな声がけを続けてしまえば、子どもはきっと「せっかくやったのに」と思って、だんだんやらなくなってしまうかもしれない。
主体性を認めてあげずに、その芽を摘んでしまうようなものです。

頭ではわかっているのに、咄嗟の時には反応できない理由はなんだろうと、考えてみました。
今回の場合、結局、自分の思い通りにならなかったことが嫌なんだろうと思います。
掃除機かけないで埃がある状態で濡れた雑巾で拭いたら、埃が固まって床にくっついちゃう。それを避けたかったから、息子には掃除機のあとに雑巾掛けをしてほしかった。
私のこの凝り固まった考え方を変えられなくて、息子の行動への批判をしてしまったんだと。

でも、掃除なんてやり直しがきくじゃん。
後からやり直せるものだったらそんなの置いといて、息子の行動への反応をもっと、考え直したい。そう思いました。

理想は、もし次に同じように私の想定とは違うけれど子どもが考えて何かをやってくれたとき、まずは「ありがとう!!嬉しい!」という言葉を使って、できれば子どもを抱きしめるくらいそばに行って、私の想定なんて横っちょへ置いておく。

それが無理でも、せめて、次は、最初に肯定の言葉を言えるように。息子や誰かがしてくれた主体的な行為を見逃さずに、受け止めたい。そう思います。


では今日はこの辺で(^^)

お読みいただきありがとうございました!


hona

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