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「学校に行く意味」を考える。学校に行かないときの居場所が増えるといいなぁ。

こんにちは〜honaです!

今日は、またまた突然ですが、学校に行かないことについて考えていきたいと思います。

きっかけは、子どもが「学校いかないー」と軽く言葉にしたこと。
すみません、暗い話ではないのでご安心を(^^;
今まで保育園では楽しく遊んでいたのに、小学校に入ってずっと座っておべんきょう。しかも休み時間も5月までは校庭で遊べない等いくらか制限があったので、楽しさがあまり感じられなかったようでした。

でもそのときに、私は、「なんで学校に行くのか」という答えを自分の中に持っていませんでした
だから、一度自分なりに深く考察してみようと思って考えたことがあったので、こちらに残しておきます。


「学校に行く」ことは当たり前じゃない


学校に行かないこと。「不登校」と称することもあるかと思います。

ただ現在の風潮では、「不登校」と言う括りをあえてしないようにしていますね。
私も、それには賛同しています。

誰も彼もが学校に順応できるわけじゃない。同じ学年の子だけ集められて教室に45分間座り続けて、先生の話を聞き続ける。1日やることが全部決められていて、数時間、それに従うことを求められる。

今は30~40人に1人、そういった環境に適応できない子がいると言われていますが、それは当たり前だと思います。だって大人が同じことやれって言われたときに、むしろ40人全員できますか?正直私は、誰かが決めた時間割・枠組みの中で1日何時間も同じ場所に座って誰かの話を聞くなんてこと、絶対できないです。

だから、「学校に行くのが当たり前」といった価値観はもう持たないようにしようと思っています。


小学校で享受できるものとは


だけれども、じゃあなんで小学校に子どもを通わせているのか。

私が最近、脳科学や進化人類学の書籍を読んで感じているのは、小学生くらい特に9歳ころまでの子供たちにとって必要な事は、「豊かな社会関係がもたらされる環境」と、「好奇心を強く持つことができる多様な環境」だと感じています。

ではまず、「豊かな社会関係がもたらされる環境」と言う意味で考えてみると、小学校は、家庭にいる時とはまた別の社会関係がもたらされます。クラスの友達、学童の異年齢の子ども達、先生、給食などの職員さんなど。家にいる時とはまた違った人々との関わりが、子供たちにとって良い影響を与えるであろうと考えました。

続いて、「好奇心を持つことができる多様な環境」と言う意味では、少し時代遅れになっているようなカリキュラムである可能性が排除できないにせよ(個人的には座学よりももっと体験を重視したことを9歳まではやってほしいと思っているのですがそれは置いといて)、ある程度体系立ったこれまでの実績に基づいて先生方が教えてくれる授業と言うものが、科目ごと、しかもそれはある程度脳の多重知性フレームに近い分類ごとに与えられています。

例えばこれを家庭や地域でやろうと思うと、さすがに何の知識も方法も蓄積もないため、すぐに出来るものではないと思います。そういった意味で、一部のデメリットな面もあると思いますが、学校と言う場所で提供される授業にも、やはり意味があると考えました。

したがってこの2点から考えると、学校に絶対に行かなければいけないと言うわけでは無いですが、もし学校に通わない場合には、この学校に行っていたら享受できるであろう豊かな社会関係や多様な環境と言うものを、家庭で補う必要があるのではないかと考えています。


「学校に行かない」ときの居場所が増えたらいいな


では続けて、じゃぁもし今後小1息子が「学校に行きたくない」と本当に言い出した時、どうしたらいいかということを具体的に考えてみました。

結論としては私だったら、例えば博物館、美術館、図書館、自然がたっぷりの場所とか、何か彼にとって五感で体験できるところに連れ出したいと思いました。

学校の座学では得られないような、例えば美術品を見て触れて何か感じることだったり、自然の中にいて行って木や花や川や虫と実際に触れ合って感じることだったり、私が彼に与えられるものと言うのはそういうものなのかなと思いました。

でもこのようにして学校がないときの子供の居場所を考えると、やっぱり多少人目を気にしてしまう、と言うよりも周りから何か言われたらめんどくさいなと思ってしまう自分がいたりして、例えば近所の公園や地区センターや図書館に出かけるみたいな事は、ちょっとやりづらいのかなと思いました。

もちろん子供が興味があれば博物館や美術館などに連れ出すことも難しくはないと思いますが、もし突然「学校に行きたくない」って言った時に、子供がすぐに学校の代わりに行ける場所みたいなところが身近にあるといいのかなと思いました。

それがフリースクールみたいな場所なのか何なのか・・・ちょっとイメージできてるわけじゃないんですが。
今みたいに学校に行くのが当たり前と言うような価値観を今後持たずに、新しい価値観を定着させていくにあたっても、そうした新しい子供の居場所が増えていくといいなぁと思いました。


大人も、子どもの教育に主体的になる


「学校に行くことが当たり前ではない」という価値観は、何十年と続いている今の日本の教育システムが「当たり前」になっている現状では、なかなか浸透しづらいのかもしれません。

システムががちがちで変化が期待できないからこそ、保護者一人ひとりが「学校ってどんなところ?」「何のために通うの?」としっかり考えてそれぞれの答えを持つこと、それを子どもと共有することが、現状を変える力になるんじゃないか。
子どもの人生は子どもが決めるべきと考えますが、子どもが自分の人生を主体的に考えると同時に、大人も子どもの教育について主体的に考える姿勢を忘れたくないなと思いました。

ではでは今日はこのへんで。

お読みいただきありがとうございました!^^


hona

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