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あなたが働くから(小説+あとがきのようなもの)

年越し牛丼


こんな時にまで牛丼食いに来るなよ——

優司は心の中で毒づいた。日付は12月31日、時刻は11時42分。新年の到来まであと18分である。

優司は牛丼屋のチェーン店でアルバイトをしていた。大みそかにも関わらず働いているのは、店長から懇願されたからだ。通常よりも割増しで賃金が支払われるという。しかし、その差額もたかが知れている。店長の勢いに優司は仕方なく引き受けたが、そのせいで友人たちからの集まりの誘いや、初詣の誘いも全て断ることとなってしまった。

「大みそかまでバイトかよ。社畜すぎだろ」

友人からの同情の声にはどこか呆れの感情も含まれていた。


優司は睨みつけるように店の時計を見た。もうそろそろ紅白歌合戦も終わる。そうしたら、アイドルのカウントダウンライブにチャンネルを切り替えて、みんなで声を合わせてカウントダウンでもするんだろう。新年を迎えたら一斉に乾杯だ。酔い覚ましに神社へ初詣に行って、その後は朝まで飲み明かすんだ。

きっとそうなるはずだった。昨年はそうだったんだ。

休憩中で店にいない店長に代わり、優司が一人で店番をしていた。客もいなかったため、たった一人で、場違いに軽快な音楽が流れる店の中、店長への忌み言を呟いていた。


年内最後の客がやって来たのはそんな時だった。


 店の駐車場に大きなトラックが一台、やたら大きく旋回して停まった。高速道路が近いこの店舗には、大型トラック専用の駐車場が備えられており、よくトラックの運転手が腹ごしらえにやって来る。そのため、深夜だろうと客がやって来ることなど大いにあるのだ。

 優司はさすがに大みそかの夜には誰も来ないだろうと踏んでおり、せめて年明けの瞬間だけでも電話を繋いで、仲間と新年を祝えないかと目論んでいた。しかし、どうやらそれも叶いそうにない。


やがてトラックの中から小柄な中年の男が一人降りて、こちらに向かってずんずん歩いてきた。

せめてテイクアウトであってくれ。頼む、帰ってくれ——

優司の儚い願いは届かなかった。トラックの運転手は店に入るなり、入口から最も近いカウンターの席にどっかりと腰を下ろし、「牛丼大盛り、つゆだくでね!」と快活な声で言い放った。

優司はかしこまりましたも喉から出なかった。代わりに厨房に戻り、大きく嘆息した。


スマホの画面を見ると、友人から「電話繋げられそう?」とメッセージが届いていた。優司はそれに対して、「No!」と言っているキャラクターのスタンプで返した。そして、少し考え「たった今客来た。最悪。すまん」と付け加えた。


その時、「おい兄ちゃん!」と男が大きな声で優司を呼んだ。スマホを触っていたことを咎められるのかと一瞬身が固くなったが、男は人懐こそうな笑顔でこちらを見ていた。


「あと、おしんこと味噌汁、生卵も付けてくれ!」

「かしこまりました」

安堵からか今度は声が出た。緊張からの緩和を味わったためか、身体の気だるさは霧散した。しかし大声で呼ばれたことに対して、無性に腹立たしが湧いてきた。大体、席にベルがあるんだから押せよ——

 厨房の鍋の蓋を上げると、中には大量の牛肉と玉ねぎがぐつぐつと煮込まれていた。一気に甘辛いつゆの香りが漂い、鼻孔に入り込んでくる。働き始めた頃は、この香りに反応して、溢れ出る唾液を止めるのに必死だった。しかし、今となっては一切の食欲も湧いてこない。普段の日常でも、牛丼屋に立ち寄ることはなくなってしまった。


 どこで売っているのかも分からない大きなおたまで、肉と玉ねぎを掬う。それを大盛り用のどんぶりに詰められた、つやつやの白米の上に被せると、肉と玉ねぎのバランスが整うよう肉をさらに加えた。注文はつゆだくだったことを思い出し、つゆだけを少し掬ってどんぶりの中に流し込んだ。

 おしんこは大量に作り置きされてあるものを、小鉢に入れるだけ。味噌汁もインスタントだし、生卵に至っては冷蔵庫を開けて閉めるだけのような作業量だ。

 数分と掛からないうちに注文された品が出来上がった。男の席へ持って行き、「お待たせしました」と言うと、男は「おっ、待ってました」と声を漏らした。

 嘘つけ、待たせてねえだろうが——

 優司が再び心の中で毒づくと、男は箸を取り、手を合わせ「いただきます」と礼儀正しく挨拶した。

 いやにしっかりした人だなと、優司が厨房に戻ろうとすると突然男が話しかけた。


「兄ちゃん、大みそかなのに働いとるんかい?」

優司が振り返ると、男はつゆを吸って膨らんだ米を、柔らかそうな脂身を携えた肉と一緒に頬張るところだった。

この人店員に話しかけてくるタイプの客か——

優司は急に面倒な気持ちになり、何とかその場をやり過ごせないか画策した。店員と客、それも初めて会った仲という事実に、超えようのない壁を感じていた。

「はい、そうっす」

優司は笑顔で取り繕うこともなく、ぶっきらぼうに返した。店長が見ていたら、きっと激怒するような態度だが、その男を前にすると不思議と仮面を被る必要性を感じなかった。


というか、あなたもですよね?——

 優司は駐車場に停めてあるトラックに目をやった。敢えて口には出さなかった。会話を広げることが億劫だった。

ところが、男の方は優司が閉じようとした交流の扉をこじ開けようとしてきた。

「俺もたい、お互い大変さね。俺はこれから鹿児島まで行くんよ。枕崎よ。枕崎。遠すぎっとよね全く」

 咀嚼音を交えながら男はまくし立てた。方言によるものか、語尾が独特だ。そのため、この辺の人ではないようだと優司は確信した。枕崎とはどこなのだろう。優司は途端に男に対して少し興味が湧いてきた。

後に調べると鹿児島の最南端であることを知り、優司はその時初めて男に同情した。

 

「おじさんみたいな運転手さんって、年越しもトラックの中なんですか?」

「そりゃそうよ。中にはその瞬間だけパーキングに寄って、家族に電話ばさす人もおる」

きっと自分のことを言っているのだろう。何となくだがそう思った。


「紅白ラジオで聴いてたんすか?」

「そうね。紅白ば流しとる。ばってん最近のは分からん人の多か。何てったけねあれは、火遊びだっけ?」

 優司は敢えて突っ込まないことにした。

 男は音を立てながら味噌汁を啜ると、次に生卵を割り、半分以上減った牛丼に中身を入れぐりぐりと混ぜた。

「こいがいっちゃんうまか」

「え?」

「これが一番おいしいって言いよっと」

標準語喋れるじゃん。と優司は突っ込みたくなったが、全国を回っているのだからそれも当然かと落ち着いた。


男は、黄身とよく混ざった残りの牛丼を、一気に掻きこんだ。勢いよく啜るので、およそ牛丼を食べているとは思えない音が店内に響いた。優司は他に客がいないことに少し安心した。

 音を聞きながら、優司は年越しそばを思い出し、いよいよ空腹を覚えた。

 ここまで美味しそうに牛丼を食う人が他にいるだろうか——
 
 優司は久しぶりに、牛丼を美味そうだと思った。


 男は咀嚼しながら空っぽになったどんぶりを置くと、喉を鳴らして水を飲み干した。大きく息をつくと、しみじみと「美味かった……」と呟いた。口直しにおしんこをぽりぽり食べている男に、優司の方から話しかけた。

「好きなんすね。牛丼」

 それを聞くと、男は満面の笑みを優司に向けた。自分の奥さんにも、食事の度にこういう笑顔を向けるんだろうか。優司は男の笑顔の奥にありそうな、暖かな家族風景を思い浮かべた。

「いっちゃん好きたい」

一番好き、ということかと優司は先ほどの男の方言を思い出していた。


「もう年の明けるね」という男の一言で、我に返ったように時計を見ると、時刻は11時57分を差していた。残り三分で今年が終わる。新しい一年が始まる。陰鬱だったはずの気持ちは、いつの間にか消えていた。優司はこの男となら、年越しの瞬間を過ごしてもいいという気持ちになっていた。


「兄ちゃん、ありがとうな」

 男から不意にお礼を言われたので優司は戸惑った。

「俺がこうして大みそかの夜に、こげん牛丼が食べられっとも、兄ちゃんがここで働いてくれとるけんよ」

 優司は言葉に詰まった。男は笑顔で続けた。


「兄ちゃんや俺んみたいに、大みそかでも働いとる人はたくさんおる。皆が見とるテレビも、テレビ局の人間が作っとる。初詣に行くとに使うタクシーも、帰り道に寄るコンビニも、働いている人のおかげで不自由なく使えとる」

 優司は昨年までの自分を思い返していた。


「ついでに言うと、俺らは仲間たい。おかげで一人じゃないって感じられるとよ。ありがとうな」



 男の話が終わると同時に年が明けた。最後に新年の挨拶をし、男は会計を済ませ、店を後にした。トラックに乗り込む前に、どこかへ電話をしているようだ。男の表情から優司はきっと家族だと予想した。


 「今年もよろしく」という挨拶こそしなかったが、優司はできればもう一度会いたいと思った。

 ただ、牛丼を作って提供しただけだ。それなのに、男にとっては重要なことだった。男は単に食事をしに来たのではなかった。同じ大みそかにすら働く人間と、新年の変わり目を過ごしたかったようだ。


 思えば、自分もただ寂しかっただけだったのかもしれない。何となくだが、深夜の高速道路を走る時の男の気持ちに触れられた気がした。


 きっと、誰も来なかったら、働かなかったら、分からない感情だったに違いない。優司は胸の高鳴りを感じていた。少しだけ自分のことが誇らしくなったような気持になった。



 やがて休憩を終えた店長が戻って来た。コンビニ行ってたら年越えてたよと、こちらの様子を伺うように、恐る恐る愛想笑いをしてきた。どうやら先刻までの自分の態度は相当酷かったに違いないと、優司は軽く反省した。

「店長、明けましておめでとうございます」

 優司はなるべく明るい声になるよう努めた。険悪な雰囲気はここで全て払拭したいと思っていた。その声を聞き、店長は安堵したような、拍子抜けしたような顔になった。


「何か、いいことあったのか?」店長が尋ねてきた。


「そうっすね」

 優司は笑みを浮かべながら、鼻の頭を指で軽くこすった。


— 終わり —


あとがきのようなもの


ふと明日から仕事だということを思い出すと、ぽとんとこの物語が降ってきました。

そこで、今日のうちに一気に書き上げることにしました。文章が多少稚拙な部分や、不十分なところはありますが、お許しいただけると幸いです。

理由はわかりませんが、ひょっとすると自己防衛本能が、明日の仕事初めという現実に、対抗すべく生み出したのかもしれません。

働くことをプラスイメージに捉えることは、実はいともたやすいのです。しかし、ここで言いたいのはそういうことではない。


この物語は、間違いなく本心で生まれています。


皆が休んでいる中、働いている人がいてくれるから、僕らはずっとサービスを利用出来る。何不自由ない生活ができる。急病や怪我をしても、お医者さんや看護師さんがいてくれる。お酒が足りなくなったら、コンビニ行けばいい。年始のカウントダウンをお店でやってくれるバーもある。

休んでいる僕らができることは、そういう人たちに感謝して、お金を払うことです。逆にそれしかできないのですが。

明日から仕事が始まります。どうか嫌なことだけ思わないで、自分のやっていることが、誰かの笑顔にきっと繋がっているはずだから。

この物語を通して、少しだけ前向きになれる人がいてくれると、この上なく幸せです。そんな物語をこれからも紡いでいきたいと本気で思っています。

明日から頑張っていきましょう。

そして、これは僕が自分自身に言い聞かせていることでもあります。


今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございます。新年三が日は、この物語で締めくくりたいと思います。

皆さん、今年も一年間、どうぞよろしくお願い致します。

#我慢に代わる私の選択肢

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