「わかっている」「知っている」のに使えない英語〜留学挫折体験記〜
皆さんも日本語字幕をついた
映画を見る機会があるだろう。
DVDでも日本語の字幕を削除して
英語だけを聞き取って映画を
鑑賞することもできるし、
ネットにもそのような類の教材は
溢れている。
いわゆる大学受験で、
そこそこ英語を勉強してきた人は、
映画の中の英語は、
さほど難しいやりとりを
しているわけではないと気づくだろう。
具体的に言えば、
日本の中学校で習う英文法の
レベルでほぼこと足りている
ケースも多々ある。
ボキャブラリーのレベルも含め、
我々が受験英語で学んだ英語が
飛び交っているにもかかわらず、
英語だけを聞き取ろうとすると
全くわからない。
私はそこそこ英語を勉強し、
自分自身に自信がつき始めてから
字幕なしで映画を見ようとして、
この現実に愕然とした。
さらに大学に行けば、
帰国子女と呼ばれる人たちが
すらすら英語を話す場面に出くわし、
海外での経験があるとは言え
ここまで差がつくと言う事実に
大きくモチベーションを削がれたものだ。
帰国子女に対抗できることがあるとすれば、
ある程度の英文読解や英文法の問題なら負けないぞと内心燃えていたこともあった。
しかし残念ながら、いわゆるビジネスや
キャリアで求められる英語力はそこではない。
きちんと仕事を円滑に進めるためのコミニケーションとしての英語。
それこそが求められている英語力であると
残念ながらそこに気づかずにはいられなかった。
4択の英文法の問題や大きな文献の部分を切り取った英文読解ができたところで、
グローバル社会で求められる英語力は身に付かないと大学時代に身をもって知った。
受験英語で身に付けた英語力は、
当時の私には受験英語のための英語だった。
このような英語の関わり方を
してきた人は少なくとも
30代後半以上の方は多いの
ではないだろうか。
そんな受験英語から
脱却する事を当時大学生の私
は決意した。
受験英語からの脱却
1番欠けていたのは「話す」だった。
一方で「読む」「書く」「聞く」
これらの力はそれなりについていると
実感していた。
英語をアウトプットする経験と言うのは、
英検の面接対策といった類の
ごく1部に限られていて、
ほとんど経験がないと言ってよかった。
そこで、強制的に話す機会を
たくさん作れば自分は爆発的に
英語力が伸びるのではないか、
そんな仮説を立てるに至った。
いわゆる週2回60分のグループレッスン
といった形式のものを送り返しても、
飛躍的な成長をとげられないと思った。
やはり1日中英語しか使えない、
日本語「使わないといった極端な環境に
強制的に身を置きたいと思った。
これはおそらく海外経験豊富な
すらすら話す帰国子女の皆さんに
少しでも対抗したいという
思いがあったのかもしれない。
そこで私は行動を起こす。
費用の面で苦労をしたものの、
何とか約4週間の短期留学を
夏休みを使っていくことにしたのだ。
場所はイギリスの首都ロンドンから車で1時間ほどかけたヘイスティングスと言う街だった。
この街に
こだわりがあったわけではない。
あくまで英語しか使えない環境におきたいと言う気持ちを優先し、日本人留学生が
いないエリアをピックアップしたのだ。
そこで私はこの街で、
かけがえのない挫折経験をすることになる。
私の英語を強制的に使う作戦は、
序盤はうまくいっていたかこのように思えた。
ホストファミリーとの会話も
スムーズにできていたし、
自分が期待していた
英語のアウトプット量をここで
実現できると手ごたえを感じていた。
しかしながら、
現地の英会話学校に行く途中で
立ち寄ったカフェで、
私は挫折のきっかけとなる
先制パンチを食うことになる。
そこで自信満々でコーヒーを
オーダーしようとした。
「coffee,please」
私は異国にきた独特の感情の高ぶりも
あり、堂々とした発音を披露した。
ウェイトレスは
一瞬怪訝そうな表情を
浮かべたが、
すぐに合点がいったようで
去っていった。
1分ほど経っただろうか。
彼女は黒い缶を私のテーブルの前に置いた。
あれ、イギリスにも缶コーヒーがあるのか。
でもアイスで飲む習慣はないしなー。
不思議な気持ちで缶を手に取った。
そこで卒倒しそうになる。
そこには、「Diet cola」と書かれていた。
あの屈辱のコーラの味を飲み込みながら、
学校に向かったのを昨日のことのように
思い出す。
高い授業料で得た、英語へのあるべき姿勢
学校に行っても、私はさらに
自分の力不足を
痛感することになる。
レベル分けテストを終え、ジョインした
クラスは、アジア系よりもドイツ•フランス語圏
からきた学生がメインだった。
私のような二十歳そこそこから30歳前後のメンバーまでバラエティに富んでいた。
正直彼らとボキャブラリーや文法や読解力といった力は負けていなかったように思う。
ただ決定的に彼らにあって、
私になかったもの。
それは積極性である。
ディベートのテーマが与えられると、
彼らは辿々しい英語でも、
結論からきちんと述べる。
そして自国の文化や
慣習を例示しながら伝えようとする。
話のコンテンツは、非常にロジカルであった。
英語の発音は、
イマイチでも彼らは失敗を
恐れずにどんどん発言していた。
積極的に意見を述べる。
アウトプットする。
間違いを恐れずに。
海外に来たからには、
そこそこのレベルで
発音しなくてはならないといった私の
偏見と強迫観念を持った私は瞬く間に
クラスの落ちこぼれと化した。
このとき学んだこと。
語学はルールを知っているだけでは
何も役に立たないということ。
英字新聞を読むといった自身の
インプットに役立つようなものは
話は別だが、相互にコミュニケーション
を図る英会話ではルールだけでなく、
「積極的な実践」が重要であると。
野球の初心者がどんなにルールブックを
はじめから終わりまで完璧に理解したと
しても、絶対に上達しないように。
そしてもう一つ注意書きを加えたい。
間違いを恐れないこと。
トライ&エラーで前に進もうとする。
「一定のレベルになるまで待ってから実践
してみよう」
よく言えば、慎重ということなんだろう。
だがそれは世界で戦うスピード
では対応できない。
今までの英語学習のやり方を根本から見直さないとこれ以上の上達はないと、短期留学から
教わったのである。
ここから私は、英語の勉強方法を思い切って
変えることを決意するのである。
これについてはまた次回。
何度か改訂されているようですが、
当時はこちらの本がとても参考になりました。
今でも読み返しています。
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