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僕があきらめたのは「酸っぱいブドウ」だったのか

自分の思ったとおりに事は
うまく運ばない。

法曹になるため、
司法試験を目指し、
挫折しあきらめた背景を前回では書いた。

みなさんもそれなりに生きていれば、
あきらめたものがたくさんあるだろう。

行きたかった大学
取りたかった資格
大好きな人に想いを告げること

今日はそんなあきらめた事、
モノに対して、哲学的にちょっと
考えてみたというお話である。

あのころの未来に 
ぼくらは立っているのかなぁ…
全てが思うほど うまくはいかないみたいだ

作詞:スガシカオ 「夜空のムコウ」より

当時は、こんな感じでこの曲を聞いて、
センチメンタルな気分に
なってしまったものだ。

前回の記事では
司法試験を断念した理由として、
お金と時間のコストを挙げた。

自分としてはギリギリで
合理的な判断をしたつもりだった。

ところが、たまたまある
エピソードに本を通じて出会ったとき、
ふと考えこんでしまったのだ。

イソップ童話の「酸っぱいブドウ」
のお話をご存知だろうか。

ある日、キツネが
美味しそうなブドウを見つける。
どうしても手が届かない。
キツネは「あんなブドウは酸っぱいにちがいない」と言ってその場を立ち去る。

こんなお話である。
どう考えたかというと、
「酸っぱいブドウ」をあきらめたもの、
断念したものに置き換えた
のだ。

私は、
「司法試験に合格して法曹になること」
をあきらめた。

①合格するまでの時間と
 お金のコストがかかりすぎるので、
 新卒のカードを切って働いたほうがいい。

②弁護士はこれからどんどん増えて
 「食えなくなる弁護士」が増えるという
 記事を見た。

こういったことを根拠にして、
これは「酸っぱい」という
価値判断をしてあきらめたことになる。

これが正しかったかどうかはおいて
おいて、この背景には
ルサンチマンという概念があるらしい。

哲学者のニーチェが提示したものである。


ルサンチマンは「弱者が強者に抱く嫉妬、
怨恨、憎悪、劣等感など
のおり混ざった感情」
のことだそうだ。

簡単にいうと「やっかみ」
いったとこだろうか。

さきほどの話に戻すと、
私は当時この「やっかみ」の感情に
とらわれていたのではないか。

従来メリットがあると思って
目指した司法試験に対し、
「自分のメリットはない=酸っぱい」と
判断した理由は、やっかみではなかったか



このやっかみの原因となる劣等感を、
自分自身で努力で補おうとしないで、
強い他者を否定する価値観(上記の①、②)を持ち出すことで自己肯定する。


自分は学費を自分で働いて
用意しなきゃいけない。
ほかの人は勉強に専念できる環境がある。
自分にはそれができない。

そんな強烈な劣等感がこのあきらめる
価値判断をしたのではないか。

そう思えたのである。
一見合理的な判断をしたというように
思っていたことが、実はその根拠は
自分の妬みとかやっかみが
作り出していたものだとしたら。

愕然としたのである。

また子供のときとはいえ、
ねたみや劣等感というものに対しての
自分の弱さを
思い出すエピソードがある。


子供のころ、ゲームボーイという
小型のゲーム機が流行った。

自分は外で遊ぶのが好きだったので、
あまり興味を持っていなかったが、
周りの友達は持つようになった。

ゲームボーイは持ち運びができるので、
一緒に外で遊んでいた友達も
そればかりで遊びようになってしまった。

そのとき、自分は「外で遊ぶのが好きなんだ」といって、一人で外に遊ぶなり、
また別の友達を探すという選択肢もあった。


だが私は「自分だけがゲームボーイを
持っていない」という状況に対し、

みんなが持っているから自分も持たなきゃ
いけないという価値観に服従する形

さほど興味のなかったゲームボーイを
親にねだることになった。

みなさんも同じような経験はないだろうか。

本当にほしかったものだったのか。

自分が何かを望む。
ほしいものがある。

その欲求が本当の自分の感情が
素直にあらわれたものなのか。
それとも周囲の共通の価値観への迎合や
周囲への妬みや、やっかみからきているのか


自分に根ざした素直な欲求に耳を傾けること。

ここをきちんと見極めないと、
他人や周囲の価値観に知らず知らずのうちに
流され気がついたら、
生きづらくなってしまうのではないか。


最後に、わたしがあきらめた決断について。
やはり魅力的な職業だったし、
できればチャレンジをしたかった。

十分に経済的余力があるひと達に
対するやっかみもあったのだろう。

自分があのまま根底にある真の欲求として、
司法試験を目指していたら、

「酸っぱいブドウ」ではなく
「美味しいブドウ」に
ありつけたかもしれない。

ただ違う決断を一度した以上、
時計の針は戻らない。

すべきことはくよくよしたり、他人や環境のせいにしたり、「昔は良かった」なんて言いながら安酒を飲むことではない。

自分が下した決断が「これが正解だった」
と思えるように未来を作りにいくこと。

周囲の価値基準をそのまま鵜呑みにせずに
自分で主体的に選択・決断していくこと


これだけ気持ち悪いぐらい情報が
溢れている時代だからこそ、
ありきたりな表現だが、
自分のアタマで考えていこうと強く思う。

最後まで読んで頂き、ありがとうございます。 みなさんが生き生き健康に働けるためのメッセージを発信していきます。 ぜひサポート、よろしくお願いします。