闇の中の光
私にとって、最も理想的にお酒をたしなんでいる様子が描かれている小説は「夜は短し歩けよ乙女」という、森見登美彦さんの作品である。
この小説は有名なので、ご存知の方も多いと思うが、簡単に紹介すると、黒髪の乙女と彼女に恋する大学のサークルの先輩との、偶然に装われた度々の奇遇の出会いを軸に摩訶不思議な物語が展開する、京都を舞台にした冒険活劇である。
黒髪の乙女という主人公は、変態オジサンに会おうとも、突然演劇の主役を任されようとも、街中に風邪が蔓延しようとも飄々と楽しげに切り抜けていく無敵のヒロインである。
このヒロインは、たいそうお酒が好きで、心から底無しにたしなんでいたお酒が、偽電気ブランというカクテルだった。
この本を初めて読んだとき、私は社会人一年目で、とある田舎(以下T市)の建設現場で働いていた。その建設現場は当時最盛期であり、新人といってもこなさなければならない仕事は山ほどあって充実していたが、その反面、プライベートは、ほとんどヘタレていて充実させたいという気はさらさら起きなかった。そして、お金もなく、家財道具等も少しずつ買い足していくしかなかった。もちろん、田舎で必須の車もなかった。
T市はヤマトタケルや日本狼等の伝説も残る、由緒正しい歴史の残るところであったため休日は晴れれば自転車をがむしゃらにこいで札所巡りか、雨ならばT市の本やで購入した「夜は短し歩けよ乙女」を読み返すしかなかった。
「夜は短し歩けよ乙女」の世界観は、T市の摩訶不思議な雰囲気の市内に良く似た雰囲気があり、何度読んでも飽きない幻想的な世界だった。そして、その偽電気ブランというお酒の中に深く広がる世界が、飲み物を越えた、何か人の社会に広がる光と闇、全てを受容するようなものがあるかのように感じていた。
全くもって飲んだこともないのに、そこにあるかのように飲まずとも感じることのできる不思議な書物で、当時の私の心の拠り所であった。
私にお酒の飲み方を教えてくれたのは、Tさんという社会人になって初めての上司だった。
Tさんは、公私ともにお世話になった。Tさんは、私が今まで出会った中で、もっとも素敵な方だった。
仕事においては、「責任は全て俺がとってやるから、お前はやりたいようにやれ」と、近くでもなく遠くからでもなく見守ってくれていて、気付いたらいつもそこにいてくれた、という感じの本当の優しさを持った方だった。
社会人になって一番最初に知ったのが、Tさんで本当に良かったと思う。社会では、本当に一筋縄ではいかない辛いこともあって、根性が腐ってるどころではない嫌な人もいるが、Tさんを思い出すと、「世の中まだまだ腐りきってねーじゃねーか!」と諦めずに立ち向かう勇気が出た。そして、この空の下に、Tさんみたいな方が少なからずいると感じることは、何だか私にとって世界に対する祈りにも通ずるものであった。
Tさんは、休日は奥さんと、もつ煮とビールを社宅の私の部屋に持ってきてくれたりした。もつ煮は、Tさんとその奥さんの故郷である群馬県の名物である。今は冷凍の技術が発展して、魚も新鮮な状態で食べられるようになったが、その昔、海がない県では、牛や豚等やその臓器が貴重な食材であり、それを活かした料理が名物になっていたという。
私は、海あり県で育ったので、もつは気持ち悪くてほとんど食べたことがなかった。しかし、味噌と唐辛子で煮込むと臭みもなくなっており、もつは非常に美味しく食べられることを知った。また、もつ煮に入っている、蒟蒻、人参、牛蒡、葱も美味しかった。そして、そのコッテリとした味は、淡白だけれども苦味のあるビールと相性抜群だった。
また、クリスマスイブには、部屋で独り寂しく過ごしていると、インターホンが鳴った。出てみると、Tさんと、奥さんと高校生と中学生の息子さん二人が立っていて、皆で声を合わせて「メリークリスマス!」と言って、もつ煮、ケーキ、ビールをそれぞれ手渡してくれたこともあった。私は感激のあまり、ありがとうございます、を繰り返しつつ、涙を流しそうになりながら、プレゼントを受け取った。本当に嬉しかった。そのときのTさん、奥さんと、何だかちょっと哀れんだような目で私を見つめていた二人の息子さんの姿は忘れられない。私は初めて、ものを頂く以上に、気にかけて顔を見に来てくれる人がいることのありがたさに気付いた。
Tさんが、T市内で理想的な飲み方を教えてくれた。
1件目は、ババアの店、とTさんは呼んでいた。
Tさんの部下になって、一年半後、Tさんは転勤することとなった。といっても、身体に疾患を抱えるTさんは、T市内から引っ越さなくても通える勤務先に配属となり、会えなくなる訳ではなかった。
送別会の後、Tさんは「ババアの店に行ってみねぇか?」と声をかけてくれた。「俺は、皆で飲むのももちろん好きだけどさ、そんなんじゃなくて、独りでゆっくり酒の旨さを味わうのがもっと好きなんだよ」とその店に歩いて向かいながら言っていた。
ババアの店という響きに少し困惑しながら向かうと、レンガ調のノスタルジックな自宅兼店舗であった。お店は、おばあさんが独りで切り盛りしていた。
Tさんと、私が中に入ると、「あら、久しぶりね。今日は奥さんとじゃなくて別の人なのね」と声を掛けてきた。Tさんが「会社の部下で、自分に合う酒、見つけて欲しくってさ」と言った。
おばあさんは、カウンターに座った私をじっと見つめると、「あらやだ、あなたまだ16歳くらいじゃないの?」と聞いてきた。既に成人していた私は一瞬凍りついてしまったが、Tさんは、「そいつはもう飲んでいい歳だよ」と答えた。
メニュー表には、膨大な数のカクテル、ウォッカ、ジン、ウイスキー等が書かれてあった。全くどれを頼んでいいか分からなく悩んでいると、「上から全部飲んでみてもいいし、どんなのが飲みたいって言ったら作ってくれるぞ」と言われたので、おばあさんに「甘いの下さい!」と伝えた。語彙力が幼児並みなのに我ながらガクッときたが、分からないものは経験で補っていくしかない。おばあさんは、ひとしきり甘いのでもどんなものがいいのか聞くと、そのとおりのものを作ってくれて感動した。
自分のお酒が決まっているTさんは、早速注文してしっかりと味わうように飲みながら、「こういうところには独りで行くんだよ。ばあさんと話したきゃ話せばいいけどさ、話したくなきゃ、ほっといてくれるんさ。それで、その日の気分で飲みたい酒味わうんさ」と言った。
私は、なにか物事を忘れたいときや、やけくそになったりとか、そういう時にお酒を独りで飲むものと思っていたが、Tさんのそれはなかったことにしたいから飲むというものではなかった。仕事のこと、病気のこと、家族のこと、良いことも悪いこともあるが、単に嬉しい悲しい、それだから飲むのではなく、それを反芻しながら、再度人生をお酒と共に味わい尽くす、といったとても素敵な飲み方だった。
2件目は、T市内見渡せる山の上にある店だった。
そこに行ったのは、私の転勤が決まってからだった。引っ越しまであと数日というときに、携帯が鳴った。出ると、Tさんからだった。「今、母ちゃん(奥さんのこと)とお前んちの前にいるんだけどよー。出てこれねぇか?」と言われたので、二つ返事で急いで飛び出た。
Tさんと奥さんは、私を山の上のバーに連れて行ってくれた。
マスターは、中年の男性だった。聞くと、お酒は全く飲まないらしい。無茶をし過ぎたのが祟って身体を壊し、それからお酒を控えているという。「自分が飲めなくても、人が飲んでるのをみるのは好きでねぇ、それで、ここ開いたんですよ」と、言っていた。きっとマスターには、人それぞれの中の人生模様をお酒になぞらえて観てゆく過程が楽しかったに違いない、と思う。
「こいつ、部下だったんですけどね、転勤することになって、今日は送別会なんですよ。何か餞別に良い酒、やってくれませんか」と、Tさんが言うと、マスターは透明なお酒を出してくれた。
Tさんは、労をねぎらってくれて、十分成長したからこれから臆せず頑張るように励ましてくれた。
Tさんの奥さんは、私たちとは少し離れた席に座り、何やら楽しそうにマスターと会話を楽しんでいた。
感謝の気持ちでいっぱいの私がその日飲んだお酒は、まっさらで、ほろ苦くて、少し涙の味がして、それでも甘くて、そっと手を差し伸べてくれるような、門出に相応しい味だった。
窓からはT市内の夜景がキレイに見えていた。闇の中に無数の光があった。
人生では、ほとんどが暗闇に見えることも多々ある。でも、それを見つけ出せるかどうかは自分次第なんだと、思った。
あの日見た夜景と、お酒の味は深く心に刻まれている。そして、あの日飲んだお酒は、今でも私の心の支えになっている。
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