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偽りのヘルメットさん

私は、土木施設に関する建設や維持管理をする比較的大きな企業に勤めていた。

土木というと、どんなものか良く分からないと言われることが多いが、道路や橋、ダム等の比較的大きな構造物の総称である。

私が、心の中でヘルメットさんと呼ぶ女性に出会ったのは、入社する前の新人の現場見学会であった。

その年の現場見学会では、S県に集合して、その会社が管理している施設を巡り、どんな仕事をしているのか入社する前に勉強をさせられた。

一泊二日の見学会で、夜は懇親会があり、はじっこの方に座っていた私の隣に、ヘルメットさんは遅刻してやってきて、目立たぬようこっそりと座った。その後、色々ヘルメットさんとは話したと思うが、福岡にずっといた私は九州からほとんど出たことがなく、緊張と旅の疲れとで、全く内容を覚えていない。

当時ダムの建設所で勤務していたヘルメットさんは、ヘルメットをかぶりたいという目的のために、この会社に入社したといい、ヘルメットを毎日かぶれるからそれだけで入社して良かったという。他は、私の数年前に入社していて、大学院を修了していて、私と同じ福岡出身だという話は覚えていたが、ヘルメットだけの目的で、というのがあまりにもインパクトがありすぎて、後はほとんど記憶に残っていない。

それから、私は心の中でヘルメットさん、と呼び、尊敬とも、憧れとも何とも分からない眼差しでヘルメットさんの架空の姿を負うようになってしまった。

その後、その会社に入社した私は、ヘルメットさんとはある意味では縁があったのだろう、彼女の仕事の後任になった。といっても、私は新人研修もあったりで、ダムの建設所に赴任したのはヘルメットさんが転勤した後で、すれ違いである。

赴任先では、当然のごとくヘルメットさんの噂も聞くし、比べられもする。またしても、架空のヘルメットさんの姿を負うようになってしまった。

そこに着任して、同僚の先輩方に言われたのが、「なんか、特技ないのか?面白いことやらんか」であった。職場とは、何か技を見せるところなのか、と疑問に思っていると、なんとヘルメットさんは、仕事にバイオリンを持ってきて毎日演奏を披露していたらしい。

土木系の学校を出た私は、音楽の才女では到底ない。習ったこともない。そんな芸達者な変人がいるのかと驚いた。他は、何度もヘルメットが好きだという話は聞いたし、たいそうな酒豪であったという話も何度も聞いた。そのうちに、ほとんど会ったこともないヘルメットさんに対する、イメージが完全に私の中で出来上がってしまった。

このダムの建設所で技術職として働く女性は、私一人であった。目立たないように頑張っても、目立ってしょうがない。また、こういった現場の人々はお酒が好きである。最初は、人見知りで、お酒も全く飲めなかった私であったが、徐々に洗礼を受けて行った。そして、私自身、同じ職場になったこともない姿の見えないヘルメットさんの後を追いかけていった。その結果、社会を渡ってゆくためには自分に嘘をついて、自分を偽り作り上げ生きていかねばならないことを学び、必死で架空の私を作った。酒豪でなくてはならない、インパクトがなくてはならない、何でも二つ返事で引き受けなければならない、そうこうしているうちに、数年後には女性職員一の変人と呼ばれるようになってしまった。

私は何回かヘルメットさんに会う機会があったが、最後に職場でヘルメットさんに会ったのは、二人に共通する故郷の福岡であった。

私は当時S県の土木管理施設にいたが、ヘルメットさんは何年か前に結婚して福岡の土木建設所にいた。私は、その建設所の職員向けの現地研修に参加していた。

夜には、職員の懇親会があった。ヘルメットさんは、私の隣にやって来て座った。多分、研修に参加している職員の中でも、私は余計なことを言わないし聞かないと思ったのであろう。私は人に、言ってはならないことを雰囲気で読み取って、当たり障りのないことで話を進めてしまうというクセが良くも悪くも社会に出てから身に付いてしまっていた。

ヘルメットさんは、バツ2の人と職場結婚したと聞いていたが、その旦那さんの離婚の理由は二つとも家庭内暴力だと女性の先輩職員から聞いていた。女性の先輩方は、ヘルメットさんの身を案じて、別れることを勧めたりしたというが、「こんな私でも、もらってくれただけで十分です」と言うだけだったそうだ。ヘルメットさんは、男性は好きでなく、結婚もしたくないと以前聞いていたため、内心驚いたが、子どもを持ちたくなったのだろう、と思って後は気にも留めていなかった。

久しぶりにあったヘルメットさんは、相変わらずのようにも見えたが、時折見せる表情がお婆さんになってしまっていて、私はドキリとした。その姿がメッキが全て剥がれた、本物のヘルメットさんと気付いてしまったからだ。

入社してからのヘルメットさんは、ほとんどヘルメットをかぶる職場には配属されたことがなかった。そもそも、私がヘルメットさんの後任で行ったところでさえ、ダム設計担当課であって、工事担当課ではない。建設現場でヘルメットをかぶって指示をしたりするのは、工事担当課である。そのため、私自身もその現場では、ヘルメットをかぶることはほとんど無かった。

ヘルメットさんは、本当はヘルメットも好きでないし、恐らく、入社したときもこの職種は好きで進んだ道ではなかったのだろう。そして、とっさにヘルメットが好きだと言ったのが、ウケたのだろう、要するに、全て虚構だったのだ。

その時、私は気付いた。隣に座っている時折お婆さんに見える女性は、ヘルメットさんではなく、私の写し鏡ではないのだろうか。私は、社会に馴染むよう、嘘で自分をコーティングして生きてきた。

セクハラは止むことはない組織で、それでも仕事が順調に進みさえすればいいと、なに食わぬ顔でふてぶてしくやってきた。実際に仕事は上手く進んできたが、本物の自分を完全に失ってまで私はこれからもこの仕事をやっていくべきなのだろうか、と考えた。少しずつ、軌道を修正せねば、と思った。

私の隣でお酒を一滴も飲まなかったヘルメットさん。ヘルメットさんの唯一の真実は、その時お腹に宿っていたその子の、お母さんになりたいということだけだっだように思う。

そして、ヘルメットさんに、あなたはまだ間に合うよ、と背中を押してもらった。


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