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ポジティブおばけと絶望の塊

昨日、親がきっかけで家庭の話になり、話が夫婦というよりは我が子にとっての
父親として生きる事、母親として生きる事の話にもなり下のポストの発言がパートナーの口からいきなり飛び出した。

私は彼が私のアカウントをいつだって見れることを勿論知っていたが
最近は見ていないのだと思っていた。私は彼のアカウントを一切見ないようにしているし、私達は互いの荷物、財布やスマホ等私物を一切無断であけない関係だった。それは付き合い始めからそうだった。されて嫌なことはしない二人だった筈だ。
全然関係ない人間に「それ絶対彼氏あなたの同人誌読んでますよ」と言われても彼は私が読まれたくないものは絶対に読まないような人だったのだ。
いつから私の限界という形をした本音を読んでいるのか知らないがそんな知らなくていいもの見ないほうが絶望しないのに。
私は彼がいちいち私のクリエイターとしての活動アカウントを見ているのにも関わらず自分自身の不満を閉じ込めていたことに絶望した。見ていたことではない、感情を閉じてしまっていることに絶望した。私目の前に毎日いるじゃん、いつでも罵倒できるし泣き喚くことも出来る、でも目の前の私にそれをすることを選択しない彼に絶望した。

私が彼と離れたほうがいいと思う理由のひとつなのかもしれない。
彼は私が自分を必要としなくなったと言っているが
彼自身もまた私が目の前にいても必要としていない。
愛しているのかもしれないが自分が生き延びる上で必要としていない。
彼が生き延びる理由にもう私はなっていないし
私も同じなのだ。

絶望するくらい私達は同じように変わってしまった。

私達は愛し合っているが故に互いの人間として生きる絶望を救えない事に絶望しているが互いに「夫婦」として近くにいて人間をやっているだけになっているのだ。

だから私達は酷く冷静に互いに向き合っていた。

「私はこれだけは変わらないだろうという事を言いたい」

と彼の目を見た。



「あなたを愛しています」

「俺も愛しています」


二人で躊躇なく伝えあって私だけは彼の一言に笑ってしまった。


変わらないのだな、そこだけは。
その想いの変わらなさが一番残酷なのかもしれない。

愛しているからこそ離れる
愛しているからこそあえて結ばれない

というのがわかるようなところまで私達は一緒に歩いてきてしまった。
積み重ねしすぎて何処から崩すのか、いやもうこれ崩せないですね何をやっても、というところまで重ねたのかもしれない。

互いに本当に私達の先が見えない、と話していた。



人間は自分自身の絶望とは自分だけでしか向き合えないのだというのを結婚したからこそ、ではない、愛されて愛して共に「人間」として生きてきたからこそ知れて絶望する一方でこの絶望を活用しようと思っている時点で私だけがポジティブおばけなのだろう。
そしてそんな私になってしまったことで彼を彼自身の絶望に完全に置き去りにしてしまったのだろう。

ごめん、化け物と生涯を誓わせてしまって。と彼に思う。

何故か私の方が壮絶な人生だったのに私以上に彼という人間の絶望が大きすぎて彼自身が絶望そのもので、その絶望の塊は私の想像以上に大きすぎるのだと気づいた。
というか薄々気づいていたからこそもう彼と離れたほうがいいと思ったのだと思う。
私にはその塊は大きすぎて一生一緒に持つことが出来ないし、何よりも彼が私に持たせる気がないから私は愛されているが彼の根本的な一番救いたいところには辿り着けないのだ。

もう悲しくもない。そんなものとっくに飛び越えて
変わったことに涙は流すが変わったものは戻せないということしか
話せることはない。

私は他人に居場所を作れるだろう。
でも彼は居場所を自分の中にしか作らないだろう。
私がいてもそうしてきた彼を私が救えることはないのだ。
私の救いだって他人が掬い取るわけではない。
居場所を増やすことで自分の絶望に向き合う時間を減らすだけだ。
私は楽しむのが得意だ。
自分を騙すのが得意だ。
自分であり自分でない自分を生きるのが得意だ。
そうしないと生きていけない子供だったからだ。
染みついて、それはもうもはや長所のような術だ。

でも彼は自分を騙せないくらい真面目に絶望に向き合っている。
真面目過ぎるから死にそうな私を救おうと愛したのだ。
弱っている私がいたから彼は自分の絶望に向き合わずに済んでいたが
私はもう弱ってはいない。
絶望しているが弱っていない。
私は今の自分が好きだ。
反面変わってしまった自分に涙が出る。
私が変わらなければ彼は絶望にとことん向き合うことなく生きれたのだ。

でもいつか来る向き合い、それが先送りされていただけなのだとわかる。

私は「変わった」のではない
「本来の自分」を取り戻したよ。

だから私は彼に伝えたのだ。

「あなたももう「あなた」になりなよ」

と。




私達夫婦は愛し合い互いを大事にし過ぎたからこそもう互いに
救いあえない事に絶望しているのだ。




でも愛とはこういうことだ。






愛というのは絶望塗れでも自分以外の人間を

想い、自分以外の人間の幸せを願うことだ












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