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我々は欲望の結果しか認識できない

「現代はさ、
 意識というものを信用しすぎだよね」

学校に行けないのも、意思が弱いせい?食を拒むのも、死を選ぶのも。自分の行動は、"私"の責任?
あたかも己を自分で操作しているかのように、
己については全て分かっているかのように、
思い込んでしまっているけど。

必ず他からの影響があるんだ。

生まれも名前も性格も好みも感情も欲望も。
心も体も。"私"には制御できぬ。
ままならぬよ。何ひとつ。
だから、生きるのだ。

理由も分らずに押付けられたものを大人しく受取って、
理由も分らずに生きて行くのが、我々生きもののさだめだ。
――中島敦『山月記』

“人間は一般的観念に基づいてしか、
 完全か不完全が判断できない”

家とはこういうものだ。
橋とはこういうものだ。と、
「それが何か」を知らないと
それが完全か不完全か分からない。
良し悪しも分からない。

無限定な世界では、
相対も絶対も死滅して、
自分の輪郭さえ曖昧になるのに、
どうして人間の評価ができようか。

だのに、
成績なるものをいとも簡単に決めて、
声高に主張するものよ、
怖くはないかい?
辛くはないかい?

家とは?国とは?
男とは?女とは?
君とは?私とは?
誰から植えつけられたかも分からない、
「一般的観念」に支配されている私よ。
支配されていると気付かず暮らすほうが、
幸せなのではないかい?

――それでも君は、
その扉を開くのでしょう。
絶望が世界に行き渡るとしても。
私にその欲望の原因が知らされることはないし、
止められる術もない。

参考:NHK 100分de名著 スピノザ「エチカ」

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