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本が嫌いだった【28歳の思考メモ】②

こんばんは。ほほえみです。今日もお疲れさまでした!

前回は、文学を編む理由について書きました。
今回は、「本を通して自分を知る」について書きます。

皆さんは、たまに本に呼ばれて(なぜかある本に強く惹かれて)手に取り、「これは今読むべき本だった」と感じる時はあるでしょうか。

私は人から勧められた本を積極的に読む方ですが、それよりも「自分が呼ばれた」と感じる本の方が自分の中に染みていく感覚があります。

小説でも、対談でも、何かのトピックについて書いた本でも。

読んだ本を通して、今自分が持っている考えや固定観念、大切にしているものも分かるような気がします。

きっと誰しも、自分のことには関心があるでしょう。

だからなのか、最近は、「文章の文字情報を受け取る」よりも、「双方向性の読書」のような営みが生まれているような気がします。
もちろん、私の畑ではない「科学が〜」のような本や、雑学の本、雑誌など、情報伝達系(?)の本もあります。それも「へぇ」など言いながら読みます。
ただ、普通の小説や対談などの文章の場合は、その中の「世界を味わう」ので、私の主観も大切な役者です。主観や直感を磨き、より小説の世界を味わえるようになると、現実世界の景色も違って見えてくるのではないでしょうか。

そんなふうにして文章を味わっていくうちに、自然と「本が嫌い」という意識が薄れて、今では隙間時間に本を読むようにしています。

頭がいい人が書く文章、なぜあんなに面白いんだろう。何十年も前に亡くなった人の言葉と、本を通して巡り会える。

20代のうちに趣味が増えてよかった。
これからは論文をたくさん読まないといけなくなるけど、現実世界を楽しんだり、割り切ったり、掴んだり、味わったりするために、これからも時間の許す限り本に触れていようと思います。

今日も読んでくれてありがとうございました。
いい夢見てね🎵


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