見出し画像

《虐待サバイバーの挑戦》もののけ姫を唄うこと。

しばらく前にこちらのnoteを読ませていただきました。そこには虐待サバイバーの人生テーマとジブリ映画『もののけ姫』のテーマが被るという考え方が示されていました。

理不尽な虐待という呪いを身体の中に秘め、自分自身が祟り神になってしまわないように強く生きる。
そこが、呪いを受けつつ生きるアシタカに被るのだと。


私があの映画を初めて観たのはまだ10代の前半だった。

蠢く赤黒い影を背負ってエボシ御前を殺そうとする我が腕を自我で抑え込むアシタカに向かって、


『殺せぇええっ!』
『殺せぇええっ!!』
『ズタズタに引き裂けぇぇっ!!』

とテレビに叫んだことを覚えている。


(映画に行けるほどの金銭はありませんでしたので、金曜ロードショーで観ましたね)



同時に
『ああ、殺しちゃったら堕ちるんだ』
『エボシと同族に成り下がっちゃう』
『?誰の声?
この「殺せぇぇっ!」は誰の声?』

当時の私には被虐待の認識はなく、なぜこんな叫び声を上げたのかわかっていなかった。



私は冒頭の記事を読んで以降、もののけ姫の唄を練習しました。
何度も泣きました。

『悲しみと怒りにひそむ 真の心』


ここが唄えない。
涙が出てしまって。

それでも練習をして、一節は唄えるようになりました。
(2回3回と唄っていると泣き崩れます)

先週、生まれて初めて一人カラオケに挑戦しました。
古いカラオケボックスなのか、マイクは役に立たず、私はオペラ並みの声量で唄いました。
もののけ姫を。



人間の親を知らないサンの貌(かお)。
呪いを受けた己が身を受け入れつつ、呪いを許しきれなくとも生きていくアシタカの姿。
もしかしたら私も祟り神になるかもしれないという本能的な恐怖。

私の横顔はどんな横顔だろう。



結局、2時間歌い、海辺で30分歌い、海岸線沿いを歌いながら1時間半車で走った。
4時間ぶっ通しで歌い続けた。




悲しみと怒りのなかに私は私の横顔を見た。

4時間も歌い続けるだけの生命力は確実にある。
 
生きる上で、虐待サバイバーは悲しみと怒りをひとびとより強く感じてゆく。
しかし、行き着く先は真っ暗とは限らない。



脆いかもしれないが、呪いとともに生きる生命は強い。

地獄を見たものは鬼より強い。

私は強い。

私はそう信じている。

恥じることなど何もない。

※※※※※

この記事を下書きしたあと、またカラオケに行ってきました。
今度はもののけ姫を唄いきれず泣きました。
大部屋借りてひとりで何してるんだか(苦笑)。

まるで『HOT LIMIT』のT.M.Revolutionのようにサポーター(あれは衣装なんだけどね)まみれのボロボロ女が、『悲しみと怒りにひそむ真の心』を信じて泣き叫んでいる姿はたぶん絵的にすごい。
(身体中に痛みがあり、私はサポーターを常着しています)

しかし、泣き終えたら元気にアリスの『チャンピオン』と吉幾三の『俺ら東京さ行ぐだ』を熱唱していた…。
ボン・ジョヴィの『イッツ・マイ・ライフ』も唄った。

暴力級の歌の下手さは何とも言えないが、自分の抱える爆弾を合法的に発散する方法がまたひとつ増えました。
元々、海岸で波しぶきを浴びながら『堀内孝雄』とかよく歌っていたのですが。

子供の頃から『死』が身近だったので、アリスの『帰らざる日々』とかよく唄っていたんですよ。
13歳の女の子が唄うような歌じゃないのですが。

B'zからビートルズまで幅広く唄います。



なんか、店員さんにしっかりガッツリ顔(曲か?)覚えられちゃってたし(笑)。
一度でお客さん覚えられるんだなぁ。


カラオケにない曲(民謡や歌詞のない曲)もソロで唄います。

そのうち情熱大陸も歌いたい。

※※※※※



話は大きく逸れたが、私は自分が強い女だと気づき始めた。

我が身に巣食う虐待の後遺症。
まさしく呪いそのものだ。


いまの仕事のこともそのうちnoteに書けたらと思う。
機能不全家庭出身ゆえのアイデアを形にしているから。



自分の中の呪いは消えてはいかない。
ただ、呪われているからこそ出来る仕事や役割が私にはあると信じている。


共に生きよう。


別に『誰か』と共にでなくとも。

私は私の手を引いて。

消化しきれない、
消えはしない呪いも含め。



今日も寒空の下、もののけ姫を唄う。


親に『化け物』と呼ばれた少女は、
いま「悲しみ」も「怒り」も手放さず、
静かに生きている。


いいんだよ。
呪われていたって。

呪われた私だから出来ることが沢山あるもの。




『ズタズタに引き裂けぇぇっ!』
13歳の私。
偉かったよ。
叫ぶだけにとどめた、アナタは偉かった。




諦めない。

立ち上がらなきゃならないなんて思っていない。
戦わなきゃならないなんて思っていない。

ただ、私は自分のリングに立ちたいだけだ。

ようやく得た、己のリングに。


自分として生きることなど13歳の私には想定されなかったことだ。

しかし、いま私は生きている。


呪いも、悲しみも、怒りも、この身に秘めて。




泣き叫びながらでも、生きていく。




((感謝))
羽馬千恵@出版さま、リンクを承諾してくださり誠にありがとうございました。




この記事が参加している募集

やってみた

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?